
中野
@nowoyuku
2025年7月29日
べっぴんぢごく
岩井志麻子
読み終わった
途中から、正確に言うと目も鼻も口も手も足もないけれど、確かに《女》として生を受けた冬子という存在が出て来た時、「ん?」と思った。何かに似ている、と。すぐに分かった。つい最近、と言っても今年の3月に読んだ、彩藤アザミ著『あわこさま ─不村家奇譚─』である。もっとも、わたしが出会った順が逆なだけで、本来は『あわこさま』の方が『べっぴんぢごく』に似ていると言った方が正しいのだが。
『あわこさま』も『べっぴんぢごく』も閉鎖された田舎の旧家を舞台に、因果な人間模様を描いた作品である。
『あわこさま』は、たまたま書店で見かけて気になった上に、彩藤アザミ先生の『昭和少女探偵團』や『エナメル』という作品を拝読した経験もあることから、「これは期待出来るぞ」と思って購入し、本当に偶然読んだと言える。
『べっぴんぢごく』の方は、もうハッキリ覚えてすらいないが、少し前にTwitterでおすすめ欄のどなたかの「〇〇好きな人は岩井志麻子の『べっぴんぢごく』も読んだ方がいいよ!おすすめ!」みたいなツイートを見て、すぐ「いつか買う本メモ」に追加してあった。とはいえ、当時は書店ですぐ手に入るものではなく、まあいつか購入するか、という気持ちでいた。岩井志麻子先生は『夜啼きの森』しか読んだことがなかった。これはわたしが「津山三十三人殺し」に興味を持ち、関連した書籍を読み漁っていた時にたまたま読んだだけなので、作者を特に意識してはおらず、上記のツイートを見ても「ああ、『夜啼きの森』の…」くらいの認識であった。
ちなみに、「いつか買う本メモ」には大量の書名が記してあるが、これを意識的に集めることはあまりない。もちろん、金銭的な意味で全てを一気に買うのが難しいというのはあるが、それ以上に本屋さんに行くとフィーリングで本を買うことが多いからだ。その時々で、気になる本は違う。「いつか買う本メモ」に書いた時は確かに気になってるし、自分のことだからいつか買うのは分かっているのだが、それは「今」ではないことがかなりある。つまり、「いつか買う本メモ」に書かれた本を購入するのは、「本屋さんに行ったその日のフィーリングと、本屋さんにその本が存在した時」という、極めて低い確率なのである。いつかの自分のために気になる本をストックしているのだ。
少し話が逸れたが、一昨日、たまたま本屋へ行ったところ、新刊コーナーに『べっぴんぢごく』という文字が見えた。「『べっぴんぢごく』………あ!あの『べっぴんぢごく』じゃないか!」と驚いた。なんと、全く知らなかったが、新しく角川ホラー文庫版が出ていたのだ。こういう運命にブチ当たることがあるので、本屋通いはやめられない。迷わず買った。こうして思いがけず『べっぴんぢごく』を手にした訳だ。
お化けだのなんだのひっくるめてホラーと人は言うが、結局突き詰めると人間の為したことが始まりであり、人間が「業」をつくっているのだ、人間という存在が真に恐ろしいのだと気付かされるような作品が好みのわたしにとって、『べっぴんぢごく』はとても面白く、どんどん読み進める内に上記の類似に気付いた。「うーん、似てるなあ、しかし、旧家を舞台にした《不思議》な話っていうものは、ある種王道とも言えるしな、多少の類似は有り得るか」と思いながら最後まで読み、そして、「解説」を読んでゾッとした。そこには、「『べっぴんぢごく』を参考にして書いたという、『あわこさま』も読んでみてください(意訳)」と書かれていたのだ。
類似しているのは当たり前であった。この二作品は言わば姉妹作品…いやそれは言い過ぎかも知れないが、『べっぴんぢごく』という作品がなければ『あわこさま』もなかったかもしれない、そういう繋がりが確かにそこにあるのだ。上手く言えないが、わたしはこのことがなんだか恐ろしかった。二作品とも作中で、呪われた家系を終わらそうとする人間がいるのだが、何か「大きな力」によって、「家」や「血」は絶えず続く「ようになっている」、というか「続けさせられている」。そういう運命なのだ。何人によっても妨げることの出来ない、呪い。
これに本…物語というものが似ていると思った。まず古典というものがあり、それを読んだ者が着想を得てまた新しいもの─しかし、必ずどこかでモチーフは繋がっている─を書く。それが絶えず続けられている。
まさに、この二作品は確かにそういう流れの中で生まれたものなのだ。そのなんとも言えない「途方もなさ」に背筋が冷える。
わたしという人間に焦点を絞っても、わたしが今まで培って来た読書体験、ひいては人生経験…それらが、わたしの趣味嗜好をつくり上げ、この繋がりのある二作品を「たまたま」手に取るような人間に「なった」という事実。これに気付いた時、幽体離脱して自分という存在を宙から見ているかのような錯覚に襲われた。本当に途方もないことだ。恐ろしいよ。しかし、一方でこういう体験がしたいから本を読み続けているのだと思う。バラバラに見えてもふとした時に何かが「繋がる」ことがある、その愉快さを感じるために。