
Ryu
@dododokado
2026年5月22日

群像 2026年 5月号
講談社
読んでる
小砂川チト「ゾンビ回収婦」を読んだ。ほかも読んだ。奇抜(に見える)な設定に目がいきがちだけれど、この設定でしか書きえないかもしれない内言と地の文(という言い方はただしくないのだけれど)のちぐはぐなリズムがいっそう魅力的で、何回も読み返してしまった箇所がいくつもあった。つまり、ここで描かれているのは人間がAIによって労働から解放されたユートピアなんだけど、むしろその「設定」を文章の方が先に要請しているような雰囲気があり、『コンビニ人間』以降の人間の疎外の文脈で読んでしまうと取りこぼしてしまうところが多いかもしれない。p.67の「そのような/つらいできごとがあったの/ですね。」の以降、視点が変わってから若干のりきれないところがあった、説明的すぎるから?……だけど勢いで乗り切っていないところ、/(スラッシュ)で区切るように空白が何度も挿入されるところがこの作品の美点のように思えて、ゾンビの死体のようにバラバラになったところをぜんぶは回収していない。
「「先生、わたしはみじめだった。長いことみじめだった」
みじめ?どうしてそんなふうに思うの?
「なぜだか分らないけど、こどもの頃からずっとそんな気分をかかえてた。それで、その気分を払拭しようと頑張るのに、なぜだかものごとがうまくいけばいくほど、いっそう、余計に、みすぼらしいきもちになっていった」
うん、うん。分る気がします。
「解雇されたことも、じっさいさんざんではあった。もちろん。誰だって首を切られるのがうれしいわけない。でも、でもそれ以上にずっと情けなかったのは──」
情けなかったのは?
腹部が熱くなった。胃の底から突沸するようにさまざまの単語がポップアップし、喉に詰まった。言葉に詰まったことをきっかけにしてわたしは咳き込むように泣きだしていた。
「言えない。言えない。言いたくない」
ここにきて掃除婦の仕事をするうちに、つまりひと晩ひと晩、ゆっくりとできごとの渦中から脱却していったときに、ある晩はじめてそのぬかるみを見下ろしてこの言葉を発見することができたのだ。わたしはみじめだった、と。
ひとしきり泣いたあとようやく目をあげると、先生は感じ入ったように首をもたげていて、それきりもう、なにも言おうとはしなかった。
涙のしぶきが世界にしみをつくっていた。わたしはヘッドセットを顔の皮膚から引き剝がす。
ヘッドセットのうちがわのディスプレイに、わたしの視界がちいさくとおのいて、あなたがこちらを振り返ろうとしている。わたしたちは病院からホテルの廊下に元どおり送り返されていたようだった。わたしのもうひとつの身体はそこに棒立ちしている、まるきりたましいのぬけたように。ならばわたしは肉体から剝がれた霊魂そのものとして、いまこちらの世界に帰還していることになった。この幽体は泣きじゃくっていて、肉体は真顔で直立しているんだった。
亡霊であるところのわたしはさまようような格好でずる、ずると涙で重たくなったたましいをひきずりながらトイレへ向かい、またしても驚異的な、あるいは霊的な排尿をする。」53-4