群像 2026年 5月号

群像 2026年 5月号
群像 2026年 5月号
講談社
講談社
2026年4月7日
16件の記録
  • 小砂川チト「ゾンビ回収婦」読了
  • チカ
    @chanchika
    2026年6月18日
  • 小砂川チト「ゾンビ回収婦」
  • あんどん書房
    あんどん書房
    @andn
    2026年6月13日
    2026年度上半期芥川候補作品に選ばれた小砂川チト「ゾンビ回収婦」を読んだ。 雪山にあるホテルで働く「わたし」。そこでは日夜ゾンビと人間との戦いが繰り広げられ、銃やグレネードランチャーをぶち込まれたゾンビたちが爆発四散する。そんなゾンビたる「あなたたち」の肉片を回収し、ホテルを清潔に保つのが「ゾンビ回収婦」である「わたし」の仕事である。 というのが、一つ目の世界。もう一つの世界において「わたし」は夫とほぼ同時に解雇を言い渡される。AIに仕事を奪われたことに憤る「わたし」をよそに夫はおかしなテンションになり、これからはやりたかったことだけやると言って家を出ていってしまう。残された「わたし」が夫の部屋で見つけたのが、VRのヘッドセットとFPSゲーム『プラグの抜かれた丘』であった。 つまりゾンビ回収の仕事は全てVR空間の話なのだが、「わたし」にとってはもはやこちらの世界のほうがリアルになっている。 “なによりもこの視界は、三十余年わたしの生きてきた主観よりも、ずっと主観的なのだった。わたしはいま生れてはじめて、ちゃんと身体のなかにいるような気がしていた。”(『群像』2026年5月号/ P21) リアルであるはずのほうの現実世界において「わたし」は乖離してしまっている感じなのだが、その原因になっている呪いのようなものが徐々に見えてくる、というのが作品の軸になっている。 作中において、不思議な立場逆転が発生している。そもそもこういうゲームにおいて死体とかのオブジェクトは一定時間で消えたりするのが普通だと思うが、「わたし」の目の前で爆散したゾンビの肉片は消えてゆかない。それは「わたし」が本当の清掃NPCである通称「グッドニュースさん」を殺してNPCの立場になり変わってしまったからだ。ここで、AIに仕事を奪われた人間がAIの仕事を奪うという逆転が発生している。 また「わたし」の物語の合間に現れるミーシカという男も、電子世界を保つために「見えない業務」に取り組み、AIの痛みを取り除こうとする。 彼らの抱える痛みが交差して共鳴するのが、中盤に出てくるカウンセリングの場面。ここを読んで真っ先に連想するのは昨今何かと話題になる「チャッピーにお悩み相談する若者たち」だった。 中盤以降が色々と事態も起こり錯綜していて混乱するのだけれど、「わたし」の抱える傷というのは過度に内面化された能力主義の呪いだと思う。 “急げ、急げ、結果出せ。急げ、急げ、ミスすんな。改善しろ向上しろ発展しろ進歩しろ、死んでもミスすんな、進化しろ。そういってさんざん機械みたいにあくせく働かせておいて、今度は「ミスすることこそ人間固有の愛らしさ」ですって。そういうことになったんですって。”(P50) 子どもの頃から蓄積してきた呪いのような言葉たち。愛情に飢えた「わたし」は傷つきながらもそれらを求めてしまう。 “わたしの生き死ににかんしてなんらかの権限を持った人物が出現するとわたし、そのひとのことで寝ても覚めても頭がいっぱいになって、自分の意思や価値といったもの、すべてまとめて箱に詰めてりぼんまでむすんで相手にみんな、みんなみんな明け渡してしまうのです”(P55) 「わたし」がゾンビ回収の仕事に勤しむのは、認められたく、感謝されたく、褒められたいからなのだ。たとえそれがただのゲームであったとしても、AIにできる仕事であったとしても、「わたし」はそこに安心を見つけ、そこでのみ主体を取り戻すことができる。 作中で登場するゾンビ、「わたし」が「アラスカ」と名付けた個体は他のゾンビとは異なる挙動をする。戦闘が始まると人を襲わずに逃げ隠れする臆病なゾンビ。彼はその初語(初期値)として「ᐃᓄᒃᑎᑐᑦ(イヌクティトゥット=人間らしく)」を与えられた存在だった。 AIが人間に代わって仕事をする時代。仕事を失った人間は何をすればよいのか。(早々に振り切った「夫」のような人間もいる一方で、「わたし」のようにアイデンティティ喪失してしまう人間もいるだろう) 果たして「人間らしさ」とは何なのか。そこを問うている作品だと思う。 余談だがバーチャル世界から帰れないとか開発者の孤独が世界に溶け込んでゆくあたりの構造は、コナン映画のベイカー街を連想した。 続いて掲載の舞城王太郎「ベルゼバビブベボ」は逆方向に向かうような話で、この二作が並んでいるのは面白いなと思った。
  • ごとー
    ごとー
    @ptk510
    2026年5月27日
    ひとまず気になってた中編二作のみ。 ◯小砂川チト「ゾンビ回収婦」 文章の求心力がすごかった。 夫に出て行かれVRゲームに没頭した結果、NPCに成り替わったり、AIに恋をしたりする話、なのか?分からんちゃんと読み解けてないかも。何事も没頭しすぎは良くないよね、と思わせる傍らで「“勤労”ってなんだっけ…」と悩まされる謎の中編。 ◯舞城王太郎「ベルゼバビブベボ」 こっちは独特のドライブ感がひたすら良い。 主人公の体の中でハエが見つかり、やがてその異物は鈴、チョロQ、スマホ、炊飯器…と日常が不穏な不思議に覆われていき、それでも生活は続く。 ここで描かれる夫婦像が割と理想かもしれんなぁ〜と全然関係なさそうな感想を抱くなどしました。 読後感の爽やかさに大満足。
  • ベルゼバビブベボ 舞城王太郎 攻略できなかった。。。けどこの人の文章のリズム感や語感が好き。
  • Ryu
    Ryu
    @dododokado
    2026年5月22日
    小砂川チト「ゾンビ回収婦」を読んだ。ほかも読んだ。奇抜(に見える)な設定に目がいきがちだけれど、この設定でしか書きえないかもしれない内言と地の文(という言い方はただしくないのだけれど)のちぐはぐなリズムがいっそう魅力的で、何回も読み返してしまった箇所がいくつもあった。つまり、ここで描かれているのは人間がAIによって労働から解放されたユートピアなんだけど、むしろその「設定」を文章の方が先に要請しているような雰囲気があり、『コンビニ人間』以降の人間の疎外の文脈で読んでしまうと取りこぼしてしまうところが多いかもしれない。p.67の「そのような/つらいできごとがあったの/ですね。」の以降、視点が変わってから若干のりきれないところがあった、説明的すぎるから?……だけど勢いで乗り切っていないところ、/(スラッシュ)で区切るように空白が何度も挿入されるところがこの作品の美点のように思えて、ゾンビの死体のようにバラバラになったところをぜんぶは回収していない。 「「先生、わたしはみじめだった。長いことみじめだった」  みじめ?どうしてそんなふうに思うの? 「なぜだか分らないけど、こどもの頃からずっとそんな気分をかかえてた。それで、その気分を払拭しようと頑張るのに、なぜだかものごとがうまくいけばいくほど、いっそう、余計に、みすぼらしいきもちになっていった」  うん、うん。分る気がします。 「解雇されたことも、じっさいさんざんではあった。もちろん。誰だって首を切られるのがうれしいわけない。でも、でもそれ以上にずっと情けなかったのは──」  情けなかったのは?  腹部が熱くなった。胃の底から突沸するようにさまざまの単語がポップアップし、喉に詰まった。言葉に詰まったことをきっかけにしてわたしは咳き込むように泣きだしていた。 「言えない。言えない。言いたくない」  ここにきて掃除婦の仕事をするうちに、つまりひと晩ひと晩、ゆっくりとできごとの渦中から脱却していったときに、ある晩はじめてそのぬかるみを見下ろしてこの言葉を発見することができたのだ。わたしはみじめだった、と。  ひとしきり泣いたあとようやく目をあげると、先生は感じ入ったように首をもたげていて、それきりもう、なにも言おうとはしなかった。  涙のしぶきが世界にしみをつくっていた。わたしはヘッドセットを顔の皮膚から引き剝がす。  ヘッドセットのうちがわのディスプレイに、わたしの視界がちいさくとおのいて、あなたがこちらを振り返ろうとしている。わたしたちは病院からホテルの廊下に元どおり送り返されていたようだった。わたしのもうひとつの身体はそこに棒立ちしている、まるきりたましいのぬけたように。ならばわたしは肉体から剝がれた霊魂そのものとして、いまこちらの世界に帰還していることになった。この幽体は泣きじゃくっていて、肉体は真顔で直立しているんだった。  亡霊であるところのわたしはさまようような格好でずる、ずると涙で重たくなったたましいをひきずりながらトイレへ向かい、またしても驚異的な、あるいは霊的な排尿をする。」53-4
  • Rica
    Rica
    @rica_bibliotheca
    2026年5月18日
    いつもの保坂さんに、今号は、川上弘美さんと奈倉有里さんの対談がいい!
    群像 2026年 5月号
  • 三宅香帆の連載がある
  • 三宅香帆「はじめての自分的思考②勉強する習慣」 知識人は稼げるアマチュアであることが大切だ。社会に適応しつつ社会を裏切るとは、そういうことなのかも。ポストフォーディズム時代の、ともすふと自律的に社会に適応させられてしまう時代だからこそ、重要。
  • uroburo
    uroburo
    @uroburo96
    2026年4月12日
    沼野充義「シベリアからの風 石原吉郎、マンデリシターム、そして何よりも内村剛介のこと」
  • 秘密の読書会〜小川洋子×東畑開人 小川 広い世界に行くために、一回狭い場所に閉じこもる。誰にも見つからず誰にも侵されない場所というのは孤独な場所であって、それを持っていれば自由な世界に行ける。孤独と自由という矛盾が共存できる場所の一つが本なのでしょう。 東畑 外にいるときは、外の世界のことばかり考えてしまいます。他者がうるさいんです。でも密室に入って静かな時間と空間を手に入れると、小川さんの『サイレントシンガー』のように沈黙、静寂が聞こえてきて、静かな物語を味わうことができる。これは人間ならではの自由ですね。 小川 心を持っているからこそです。動物は持っていないものを人間が持ちえたからこその特権です。
  • 小特集 奈良有里と読書の歓び〈わたし〉であることの奇跡 辻山良雄 子どものころの奈倉さんは、書店に並べられた本の背表紙を眺めるのが好きで、店内をうろうろしては本棚を眺め、本が語りかけてくる声を聴いていたという。わたしの書店でも、時おり真剣なまなざしで本棚を見つめながら、表紙に書かれている文字を目で追いかけている若い人の姿を見かけることがあるが、そのときわたしはその人の内にある、誰にも侵すことのできない内面の世界を覗き見た気にさせられる。高速回転で動いているせわしない世界でも、小さな書店に入り本棚に並ぶ本を見ているうちに、人はいつの間にか本来のその人自身に帰っていき、「だいぶ奥のほう」にいた自分と地続きになるのだ。 そんなとき人は、そのように意識しなくても、少しでもいい人間になろうと願っているのではないか。多くの人が、そうした世界へのあこがれを取り戻せば、この世も随分生きやすいものへと変わってくると思うが、それは楽観的な考えに過ぎるだろうか。
  • Ryu
    Ryu
    @dododokado
    2026年4月8日
  • Q
    Q
    @q40176
    2026年4月8日
  • ちー
    @chip_86
    2026年4月7日
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