みつ "まとまらない言葉を生きる" 2025年3月22日

みつ
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@m-tk
2025年3月22日
まとまらない言葉を生きる
---生前の横田さんとお話する際、私が思わず「私たちは〜」とか「この社会は〜」といった「大きな主語」で話をすると、横田さんからは次のような言葉が返ってきました。  それで、君はどうするの?君は、どうしたいの?
みつ
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@m-tk
---「期待」は悪いことじゃない。でも、場合によっては重い。 相手の重荷にならず、でも心の糧にしてもらえるような言葉があると良いのだけれど、そもそも、そんな言葉があるのだろうか。
みつ
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@m-tk
---ぼく自身も経験しているから、よくわかる。悩みって、強引に解決を目指しても解決しない。むしろ、悩んでいること自体を認めてもらえるだけで、楽になれることも多い。 ただただ信じて寄り添う言葉が存在するということを、多くの人に知ってほしいと思う。
みつ
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@m-tk
---とはいっても、もし仮に、まったく異なる生活習慣や価値観を持った人から、突然「あなたの隣近所に住みたい」と言われたら、ぼくは、たぶん「ピクッ」とすると思う。 この「ピクッ」という感覚はなんだろう? 「ピクッ」としてしまう自分ってなんだろう? 自分を「ピクッ」とさせるものは何だろう? それが何かは、自分自身で考えなければならない。
みつ
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@m-tk
---「心」は自分の根幹に関わる大切なもの。でも、とてもあやふやなもの。だから「心の病を治す」となると、「自分の心には悪い部分があって、それを取り除いたり、矯正したりしなければならない」ということになり、少なからず自己否定の要素が入ってしまう。 つまり、「心の病は治さねばならない」と考えすぎると、「治らない自分はダメなんじゃないか」と、更なる自己否定のきっかけをつくってしまいかねないのだ。 それから、「心の病」について突き詰めて考えていくと、「そもそも病んでいるものは何か?」という問題に行き当たる。
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