あやさび "俺の文章修行" 1900年1月1日

あやさび
あやさび
@ayasabi
1900年1月1日
俺の文章修行
町田康さんの文章は爽快です。関西弁がたまに出る語り口調で、自由に澱みなく書かれているので、いつも読んでいてスカッとします。素直な人なんだろうなと思います。とにかくクソ・屑・カスという文字をよく目にしますが、それがとてもロックでかっこいいのです。 「形式から生み出される内容、偽の正義から生み出される内容は、心の錦=文章を初めに動かす初動の力= motif に非ず。心の錦とは、実は最初は糸クズ・ゴミカスのように風に揺らぐ頼りないもので、その揺らぎこそが、内実とも申すべき俺らの心の錦なんですわ。ということを右に申しあげた。その上で、だけど俺らは気がつかぬうちにそれを看過してしまう。なぜかと言うと、内実がゴミカスであることが辛いからで、だから形式とクソ正義から出発した文章を読んで感泣し、自分もそんなクソ文章を書いて豚のように自足しつつも、個人の権利の拡張だけを目指して生き、いざ死ぬという段になって、「しまった。 もうちょっと増しな生き方をすればよかった」と後悔の臍を噛んだり、いやさ、それどこか見苦しく泣き騒ぎ、周囲の人に迷惑を掛けるのである。」p186 そうなんです!そんな心の錦から外れたクソ正義文章をつい書いてしまい恥ずかしい思いをしています。そうならないための方法として、町田さんは「デフォルトの善悪」と「雑な感慨ホルダ」を克服しようと説いています。こちらは是非、本を読んで修行していただきたいです。 「俺らの一生が一瞬の連鎖、偶然の連鎖であるのと同じように文章の内容は一瞬で決まる。 」p239 「喋り口調は、文にそのような「今」を齎(もたら)す効能がある。書いている時間≒作中の時間≒生きている時間のようになり、その瞬間、読み書き表裏一体、裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表裏表、と、斬りかかってくるしょうじない語彙と干戈(かんか)を交えつつ、文の偽善、文の欺瞞、技巧の顔廃から脱する契機となるかも知れぬのである。」p249 これはもう刹那的な仏僧の修行と変わりないんじゃないか・・・?と思うような文章修行ですが、価値観がぐわっと揺らぐ怖さと気持ちよさがあります。 文章を書いていると、瞬間瞬間考えていることと今まさに書いている自分との乖離を感じる時があります。その一瞬の連鎖が常に心の錦を持ち続けれるかの真剣勝負、そうなると、どう生きてきたんだ、お前はどんな人間なんだ、という問いを常に与えられているに等しく、この本を読んだわたしは、さてどうするんだお前はと、町田康に冷ややかに見られている・・・という気持ちになってきます。そうです、この本を読むと、心の錦町田師匠が誕生してしまうのです。 師匠、わたしはこれからもクソみたいな文章を書いてしまいそうですが、その揺らぎをスルーせず、刹那を感じながら、文章修行に励みたいと思います!
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