あやさび "わからなくても近くにいてよ" 1900年1月1日

あやさび
あやさび
@ayasabi
1900年1月1日
わからなくても近くにいてよ
こちらは、歌人でエッセイスト、国語の非常勤講師もされている堀静香さんのエッセイと日記です。 わかりあいたいけど、わかりあえない。わからないって思う前に、あなたのことをちゃんとわかろうとしたんだろうか。家族や友人、知人、いろんな人間関係で起こるわかりあえないもやもやを、自分のことさえも疑いながら熟考されているのがなんとも面白いです。 わかりますよ、そのもやもや。エッセイではそのもやもやがすーっと消えていくのが心地いい…。 堀さんにわきおこる日々の葛藤は、日記の中に表れてきます。 「目の前の原稿をちまちま直しながら、これからも書きつづけるのか、書いていけるのかと考えると途方もない気持ちになる。それでまた目の前の文章に目を落とす。つまらないのではないか。全然だめなのではないか。褒めてもらえないと前に進めないくらいならとっくにだめになっているはずで、ほんとうにはちゃんと、自分を信じてやってきた。全然だめなんかじゃない、 と思いたい。でもわからない。誰がわたしの書くものなど求めているというのだろう。卑屈さはどんどん膨らんでいく。」p55 わかりますよ…膨らんでいくタイプのもやもやですね。堀さんでさえこんな悩みを持つなんて。 この「わからない」は、おそらくずっとわからないままなのかも…。それに耐え忍び受け入れる能力のことを、ネガティブケイパビリティといいます。 詩人のジョン・キーツが、シェイクスピアの作品にはネガティブケイパビリティが備わっている、と提唱し、その概念が生まれました。シェイクスピアに出てくる人物たちを思うと…悩ましさが増します…。シェイクスピアの作品には、わかりあえない人たちばかりでてきて、答えのないもやもやがたくさん発生します。それは世界中の人に読まれ続け、様々な人たちによって表現されています。それだけネガティブケイパビリティは、生きる上で必要とされる根源的なものであり、想像力を養うエネルギーの元なのだと思います。 堀さんの本には、その力をどう代謝していけばいいか、勉強になることがいっぱい詰まっています。 読み終わっても、わからないままのわたしも、もちろん良し。
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