わからなくても近くにいてよ

123件の記録
- 北村有(きたむらゆう)@yuu_uu_2025年5月21日読み終わった@ 本屋イトマイ堀さんの文章、やっぱり好きである。『せいいっぱいの悪口』を読んだときも思ったけど、なんていうか限りなく生に近い感情をそのまま表現しているのに、胸焼けしないというか……。こんな文章が書きたいなあ
- 極光@aurora_20192025年4月10日気になるYouTubeでVlogを見ていたら登場した本。タイトルと装丁に惹かれたけれど、内容も面白そう。穂村弘さんのコメント付きということでますます気になる。
- 🪁@empowered_tako2025年4月1日読み終わった@ 自宅飛び飛びの日記もそれなりのページ数があってとても嬉しい。 中学の国語の授業であつかった文学作品に全然入っていけないと話す生徒たちに「きみたちはさぁ、TikTokとか短い動画を見過ぎなんじゃない? だから物語への耐性がなさすぎるんだよ、と唾を飛ばしながら」というところまで読み、(そう言い放つところまで想像してしまったがこらえた、って流れかな…)と瞬時に推測してから視線を移動したら「(…)唾を飛ばしながら説教してしまう。」で終わってた。したんか。 生徒たちとの信頼関係が見えてきて、誰の親でもないのにここに授業参観しにいきたくなる。 それはそれとして、自分もファストな文化に全然浸かってないけどむかしっから物語への耐性はかなりない。
- 🪁@empowered_tako2025年3月25日読んでる@ 自宅土日のことを書いていたら今日のことが書かれなかった月曜付けの日記。ひとりの記憶と紐づく場所の話。いい。次の入浴で読み終わりそうだ。さみしい。
- 🪁@empowered_tako2025年3月24日読んでる@ 自宅湯船にお湯をはれた日に連日読んでる。たのしみ。 ケーキ屋でPayPay払いだとポイントつかなくて、そのこともショックだしその言われ方に悶々として、なんだか少しわかるようでけっこうわからない、そんなにかよという愛おしさがある。
- 🪁@empowered_tako2025年3月21日読んでる高校の非常勤講師をやりながらも学校をぶっこわしたいと日記に書いていて、わたしも(わたしも?)フルタイムで働いちゃってるけど週休2日制を当たり前にしすぎてる世をどうにかしたいと思っているよ……と共感とも言えない勝手な連想をした。帯を湯船に落としてしまったので乾かしています。
- sayu@lumicy132025年3月12日読み終わった私にの場合は、わからないというモヤを晴らすための大きなエネルギーは分割したいから近くにいてほしいかも。さめざめと泣くように夏祭りを懐かしく振り返る回は、まだ出会えていない感情だけど私にもいつか訪れてほしいと思った。恋愛感情については最近モヤモヤと考えていたことと同じだったから、自分だけじゃないことに安心した。
- 🪁@empowered_tako2025年3月11日読んでるきのう買ってきょう風呂で読み始めた。家族とのバウンダリーがぼんやりしちゃっているさまが書かれているのいい。夕飯を食べ過ぎて体調がややバッドなので長湯できず上がった。頭痛もある。
- harucaの本棚@mochacha2025年3月11日読み終わった初めての作家さん。先のことを考えすぎて不安になるところ、いつまでも大人になりきれないところ。なんだか共感するところが沢山あって、同じ思考の人がいるんだなあと嬉しくなった。出会えてよかった〜☺️
- not_six@not_six2025年2月18日読んでるちょっとずつ読んでるけど、今日はまた1番最初から読んでみてる。10時始業という友達に合わせて、私もコーヒー飲みながら朝読書してみてる。10時になったら私も始業してみるかぁ。
- ロッタ@rotta_yomu2025年2月3日読み終わった「わからない」と感じることは、ただの壁ではなく、むしろ深く関わろうとする意志の証だとあらためて。 「違う」ことは否定ではなく、「同じ」であることが必ずしも肯定ではない。そのことに気づいたとき、世界は少しなめらかになり、読むこと、知ること、話すことがより自由になっていく。わたしもそうでありたい。もっともっと自由に表現できるようになりたい。
- ゆい奈@tu1_book2024年12月19日読み終わった「今日は曇りで、でも冬とは思えないくらい生ぬるくて、こういう日には洗濯物はどれくらい乾くのだろう。」という一文が特に印象に残っている。日常のなかで意識しなければ過ぎ去ってしまうことに気づけること、それらを言葉にすることの大切さを幾度も痛感したはずなのに、また、思い知る。わかりあえた喜びは、わかりあえない悲しみにかわり、すぐに忘れてしまう。桜が散る風景も、部屋の灯りの数だけ生活があるという途方もなさも、冬の静けさも、子の寝息も、うつくしいものはいつだってそこにある。怒り、嫉妬し、不安につつまれてはソワソワする私もここにいる。なにもかもあって、なにもかもがない。あるものにきづけるひとになりたい、ないものをないものとしてみるような人にはなりたくない。叫び出したくなるような過去も、言葉にできなかった怒りも、まるっとわたしの中にはあって、そうした隠していたものがこの本に救われた気がした。 それはそうと、ここは読書日記のように書いてもいいところなのかしら、きっといいということにして、そうだここに書こうとおもって、つらつら書きたい、けど眠たい。 子が三日ほど前にはじめて月をみつけ、指をさした。その一部始終をみて、泣きそうになった。そして夜泣きが増え、というのも隣から私がいなくなるとどういうわけか泣き出すという状態で、どうにもこうにも十分に本が読めなくなった。十分に読むって一体なに、とおもうけれど、満たされた感覚がなく、しかし今日はようやく読めた気がする。よかったね、わたし。母の私もわたしだけれど、本を好きな私もわたしとして大切にしたい。『心は孤独な狩人』を読みながら寝る。