
勝村巌
@katsumura
2026年5月24日
怒りに火をつけろ
小林エリコ
読み終わった
先日の文フリで出会った本。知人の1人出版社であるところのことさら出版からパブリッシングされている一冊。
過去作『この地獄を生きるのだ』に引き続いて読んだ。『この地獄を生きるのだ』の感想もreadsで公開しているので興味があれば読んでみてください。
幼少期に兄から性被害を受けた筆者が、長年にわたり自らを蝕んだ複雑性PTSDを緩和するために受けたEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)を伴うカウンセリングの体験談となっている。
複雑な経緯を下敷きにした文章なため、本人としてはカウンセリング体験を基にした個人的なエッセイと考えてほしい、とあとがきには記されてあった。
カウンセラーと小林さんのカンバセーションが中心となっており、カウンセリングというものが世の中にあることを知らしめることをはじめとした啓蒙的な側面を持った本である。
ただ、カウンセラーさんはあくまで没個性的に職業者として表されている。
書名に「怒り」が入っているのは素晴らしい。怒りを表す英単語としてはRAGE、ANGER、UPSETなどがあるが、この怒りはどのくらいのニュアンスなのだろうか。
怒りっぽい人(メルギブソンみたいな)がアンガーマネージメントといって、怒りをコントロールするカウンセリングを受ける、という話はたまにある。
しかし、筆者の小林さんは怒りをコントロールできず、周囲に当たり散らす、というようなマインドとは正反対で、むしろ他者からの迫害(意識的にせよ、無意識的にせよ)を自分のせいと考えさせられるような原体験を多く抱えており、必要かつ適切な怒りを他者に向けることができず、かえって自分を傷つけてきてしまった、ということが語られている。
トラウマというものは、きちんと放出されないと、それができなかった自分に対しての自己嫌悪の形を取るのだと、この本は小林さんの体験を通じて教えてくれる。
そこはとてもつらい描写となる。読者によっては精神的緊張が起こる可能性があるため、扉ページにもメンションがあるほどだ。適切な怒りを持って排出されない怒りは自己破壊につながる。
その怒りを獲得する過程がこの本では強いリアリズムを伴って描かれている。これは大変な勇気と覚悟がいることと思う。真実が語られており、真実が語られている本は常に素晴らしい。町田康もそう言って西村賢太を誉めていた。
とはいえ、「怒り」という言葉から予測するような激しさはこの本にはあまりなく、語りは淡々と冷静で、そこはかとないユーモアもある。それがないと生きていけない、ということもあるが、泣き笑いの情緒が感じられるのは小林さんの作風と言えるのではないか。
辛い現実はあるが、そこに立ち向かうのに文化、カルチャーの力を信じている感じがあり、それは素晴らしく共感するところである。
僕はPTSDがポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダーの略で日本語では心的外傷後ストレス障害と書く、ということは知っている。
強い恐怖や危険の体験が心的外傷となり、不意にフラッシュバックを引き起こしたりして心身に強いストレスを与えて、様々な症状を引き起こすという。
こういうことは僕の母が肺炎に罹患した際に救急車に乗ったものの受け入れの病院が見つからず、苦しい中も神奈川中をたらい回しにされ、その際の強い恐怖体験からパニック障害を患っていたことがあり、その時に色々と調べたことがあったから、少しは知っているという次第。
僕などは平素、元気があればなんでもできる、みたいな顔をして生活しているが、いくつかこれまでの人生で許せないことや一生許さないみたいな誓いのもとに強くいくつかの出来事を心にロックしており、その関係者などに対しては、折に触れ、神社など詣でるたびに、不幸が訪れるように祈りを捧げている。
なぜかそれを許すことや忘れることができない。
神社や寺などにそういった事柄を繰り返し繰り返し想念としてぶつけていく行為、人はそれを呪いと呼ぶようだが、僕は柔らかく祈りと呼ぶようにしている。prayである。
家族には自分のそう言った傾向についてはカミングアウトしているので、私が寺社仏閣にて熱心に長くニレイニハクシュイチレイなどしていると訝しる。
神社などへの祈りは自分に対してのフィードバックもあり得るので、あまりそういう具体的な祈りはやめた方がいいという意見もある。しかし、50を目前にしてもそれを止めることはできない。
オレのことをコケにしたアイツら、そいつらがのうのうと生きているのは、なんか許せない。実際、また会って話したりしたらきっと悪い人たちではないのかもしれないが、マジでなんとして不幸になっていただきたい。
カッコつけて乗ってる高級車などはきっと事故れ、階段から落ちて腰を打つとか、大切にしている高価なパソコンがクラッシュするとか、入稿に間に合わなくて仕事を失うとか、またその周囲にいる人もなるべく不幸になれ、インプラントが失敗して歯茎がガタガタになれ、レーシックに失敗して目がくらめ、ハチに刺されれ、などなど、そういう事が起れと、考えては怒りを更新してきた。
世に地獄絵、というものがある。宗教画の一ジャンルだが、西洋、東洋の分け隔てなく、多くの宗教は地獄を視覚化してきた。
地獄絵はさまざまな宗教で、言葉のわからない人たち、経典の読めない人たちに地獄を視覚的に伝える手段として描かれた絵だが、あらゆる宗教において天国の絵に比べると質、量ともに絶対に地獄絵の方が充実するのだという。これは宗教絵画においてはよく語られる言説だ。
天国はお花畑とか天気がいいとか、裸の男女がアハハとかウフフとか、そのくらいしか描くことがないが、地獄は釜で茹でたり針の山に登らせたり、水を腹が破れるくらい飲ませたり、鬼が金棒で肛門から口までを貫いたりとか、腹減って激痩せとか、大変な想像力でバリエーションも多彩だ。人の不幸の方が想像力が膨らむということなのだろうか。
ロシアの文豪レフ・トルストイも、その代表作『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」みたいなことを言っている。
不幸や怒りについて、人間は多様な創造性を発揮する。それは霊長類の本能なのかもしれない。だからこそトラウマはループし、増幅して人を蝕むことがあるということなのかもしれない。
とはいえ、個人的には自分の陰なる部分を相対化、内面化するために、また復讐の心から、抱えた怒りはその鮮度と持続を大切にし、薪を焚べつつきたが、この本を読むと、それがいかに大切であったかということが分かった。
アクション映画、特にデンゼルワシントンの『イコライザー』シリーズとか、ジョンウィックとかジェイソンステイサムの『ビーキーパー』とかシュワちゃんの『コマンドー』とか、トムクルーズのジャックリーチャーシリーズ、ボブ・オデンカークの『Mr.ノーバディ』シリーズが好きなんだ。オレの代わりに、オレをコケにしたあいつらを皆殺しにしてくれるから。
どんなトラウマを抱えるかは外的な要因が強く、もちろん自分で選ぶことはできない。だからこそ苦しく、そこには終わりがないとも言える。しかし、そこには適切な向き合い方もあり、手を差し伸べてくれる人もいる。
それを知っていること、そこにコミットしてみること、についての道を開くという意味で本書の存在意義は強いと思う。僕の周りにも人知れず苦しんでいる人がいないとも限らない。何かのきっかけがあったとして、そんな時にこの本を知っているということが福音となるかもしれない。
この本には貧困の話も重くのしかかってきており、それについても触れたいところだが、かなり長くなってきているので、それはまた別の時に書いてみたい。金がないのは辛い。
ドキュメンタリー映画『どうすればよかったのか?』などとも重なる問題意識を抱えた本と思った。
大変素晴らしく、真に本当のことが書いてある、多くの人に読んで、備えてほしい内容です。心のAEDと言いますか。即効性のあるものではないですが、
周りにいる人のサイン、なんらかの傾向や兆候を見逃さず、押し付けがましくない形で手を差し伸べられるような人になれたら、と思う。
自分が健康なだけに、そのようになれるといいなと思いました。

