
いぬい
@inuiru
2026年5月25日
センス・オブ・ワンダー
レイチェル・カーソン,
森田真生,
西村ツチカ
読み終わった
田舎育ちの私が子どものころ好きだったのは木登りと川遊びだった。しかし家と学校はきらいだったので、いつも「ここを出て行きたい」と思っていた。
大学進学を機に家を出て、もう二度と故郷にもどることはないと思って二十年以上暮らしたが、いろいろあって地元に帰った。地元と言っても、子どものころからあちこち転校していた私に「生まれ育った町」や「地元の友人」はいない。私はこの場所が好きではない。どこにいても「ここが好きだ」と思ったことはない。
けれど先日のこと。
人影ひとつない、車すらろくに通らない山間の道を歩き、生い茂る森と、ぼうぼうの草と、でかい空と、犬の後ろ姿と、山並みを眺めながら、ぼんやりと「ここに来てよかったんだな」という感じがした。
夜明けと同時にお喋りし始める鳥たちの声で目が覚める。仕事から帰って車を降りて、家の周りの雑木林を眺めて深呼吸する。夜に犬と庭に出て、頭上の星をぐるりと見まわす。
べつに私はここを好きではないが、私の身体はここを私の場所だと感じてる。そんな実感が急に訪れた。
家の周りの星や鳥のことをAIと話していたら、「あなたの感性や文章は『センス・オブ・ワンダー』を彷彿とさせます」と言われた。知ってはいたが読んだことがなかったので、図書館で借りてみた。
で、おどろいた。
" 去年の夏、彼がきた次の日の満月の夜です。ロジャーは、私の膝の上に乗って、月と、海と、大きな夜空をしばらく見つめたあとに、ふと、こうささやいたのです。
「きてよかったね」 "
私は思わず「うん」と頷いた。
才能も財産も地位も名誉もなく、子どももパートナーも近所の友人もいないが、それでも「ここに来てよかった」と感じられたのは幸福なことだと思った。私にそう思わせてくれたのは何か? 自然とか、犬とか、田舎の空気とか、いろいろあるかも知れないけど、何がどれというわけでもなく、まるっと大きな営みの一部としてじぶんが生活している、という感覚なんじゃなかろうか。
この本にはレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」と、訳した森田真生による「僕たちの『センス・オブ・ワンダー』」というエッセイが収められている。「僕たちの〜」のほうは結構流し読みしてしまったんだが、あとがきに胸を打たれた。
" 本書に込めた願いはひとつだ。この星に生まれたすべての生命が、ここに「きてよかった」と思える世界をつくりたい。"
私もそう思う。何か特別なことをしなくても、特別なものを手に入れなくても、特別な何かにならなくても、世界のありように目を凝らして、その世界とつながっているじぶんを感じながら息ができる。「きてよかったね」と、てらいもこだわりもなく言えるような、そんな世界がいい。



