"推し、燃ゆ" 2026年5月12日

歯
@zettaigokakuc
2026年5月12日
推し、燃ゆ
推し、燃ゆ
宇佐見りん
『イン・ザ・メガチャーチ』に備えて この作品は悲劇ですか?違います。ボロボロになって、グチャグチャになっても、いつからでも、生きたいと思ったら、そのまま生きていっていいのです。少なくとも私はそう解釈しました。 ・移動について、それは確かな目的(地)があり、運転を他者に委ねられ、己は自由で完全に受動的状態の、究極に安心感のある時間であること(⬅️映画の視聴もこれに近いし私が映画好きな理由のひとつかも) ・何も手につかなくなり、頭がぼんやりして、普通に生きていくこともままならなくなる感覚と状態、健常な生活の諦め 以上のふたつにとても共感した。言語化されたのが気持ちいい。本作品に出てくる「推し活」は一般的なものより異質性が高いと思うが、他の推し活の根底に重なる部分もあると思う。他者に委ねる(=自己決定を拒む)、一方通行な行動に心地良さを感じる(=相互的な関係性を避ける) そのような感覚は、今の個人主義的な社会で共感出来る人も多いだろうし、「推し活」の一面に含まれる要素だろう。 主人公の容態と精神は悪化していくばかりで、読みながら心苦しかったが、最後、部屋を片付けようと綿棒を拾うシーンが救いだった。今を肯定し、生きていこうとする希望だった。それが嬉しかった。部屋がグチャグチャで普通の暮らしがままならなくても、生きていい。 (余談:映画『オールドボーイ』で「私は獣にも劣る人間ですが、それでも生きていく権利はあるんじゃないですか?」という言葉があって、それと同じベクトルの、生への肯定みたいなものを感じる、気もする)
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