ちゃそす "こころ" 2026年4月17日

こころ
こころ
夏目漱石
42  鎌倉の海で出会った「先生」。「私」はこの「先生」に妙に惹かれ、ついて回った。  けれども「先生」、に時折差し込む暗い影の正体が、「私」には遂に分からずにいた。  父が床に伏せて国元に帰ったある日、先生からの手紙が届く。そこにある一文を見て、「私」は国元を飛び出した。手紙には、「先生」の生涯の記録が書き綴られていた。 「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世には居ないでしょう。とくに死んでいるでしょう」  国語の教科書にあったことは覚えていたが、読んでみてどこが教科書で抜粋された部分だったのかは結局分からず仕舞いだった。あらすじとセットで抜粋があった気がしたが、読み終わってみて「それだけで分かるかよ!」という気持ちと、「いや、名作に触れる機会を作りたかったのか」という気持ちとが半々ずつある。授業をきっかけに全部通しで読もうとする子もいるのだろうから、やっぱり作品に触れる機会を作るのは大事だろう。かくいう私は授業で習ってから十数年経って、漸く手に取ったわけだが。  やっぱり、先生と遺書パートが最も印象に残っている。死に至る自己矛盾とその苦しみについて、人間の芯が自壊するその有様について、その鮮明な描写が立体的に脳裏に浮かぶ。特に印象的なのは次の一文だ。  ”もう取り返しがつかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。”  先生の運命が決定する残酷な瞬間の悪感、予感、悪寒を読み手に刻みつける、凄まじい文章に感じた。そして先生がやはりKに引き寄せられるように同じ道を辿って行く悲痛さから、目が離せなかった。    生きようとする力と、死の誘惑との対立、葛藤、苦しみ。散る桜が美しいように、自殺には人を惹きつける儚さがあるように感じる。  もっと早く死ぬべきだのに何故今まで生きていたのだろう。  この一文からは、ボロボロに擦り切れ、苦悩で塗り固められて丸まった胎児が浮かんだ。八方塞がり。出口はない。それでも、自殺とは死にたいから死ぬのではなくで、生きてゆこうとする心の働きが前に進もうとする時、死ぬ以外他に道がないからその道を選ばざるを得ないのだと思った。生きるために、死ぬ。どうしようもない矛盾とわかっていても、他に手段はない。 「私」はなぜ筆を取ったのだろう。あれから、「私」の人生には何があったのだろう。「先生」の経験を受け取って、それからどうしたのだろう。「先生」の血潮は、新しい命として「私」の筆に宿っている、ということなのだろうか。
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