ここみ "NO.6[ナンバーシックス]..." 2026年4月30日

ここみ
@kokonano
2026年4月30日
NO.6[ナンバーシックス]再会#1
最終巻から14年経ってるんだ… あとがき読んで泣きそうである。あさのあつこさんは、誠実に真摯に、伝えるべきことの抽出と昇華に向き合われる方だとずっと思ってるから、俺たちの戦いはここからだ!みたいな終わりをしないことで信用度が高すぎる。 ようやく手に入れられた再会に触れた時、それが文庫本でないことと、信じられん美麗作画が追加されていることと、「#1」であることと、初版限定URLがついており、書き下ろしが読めること、こんな贅沢をもらっていいんですか?と震えた。いやでもちょっと挿絵が美麗すぎてだめだな…?麗しすぎて、開いた時に挿絵ページを隠さないと活字読めなくてダメになるし、あと何かいけないものを見ている気になる。イラストレーターさんによる価値の付与ってすごいなあ。こわいなあ。 自分がオリジナルシリーズの最終巻を手に取ったのは図書館で、リアルタイムでとったっけ?それとも発刊済み?…わかんないけど、単純に計算してしまえば10代で出逢った終わりの先に、いま触れてるのか…なんか嬉しい反面、切ない。当時から変わってしまった「自分」と、変わらない物語(時間は進んでるけど)の人物。でも物語の中で短い期間で、人物は行動力が爆速だから大きな成長や変化が見られており……私は倍以上の年月を歩いてきたのに、変わったとはいえ良い方向でなく、むしろ何かをたくさん失ってきている。それがとても悲しくて、再会できたことが嬉しいのにどうしようもなく悲しい。比較しても意味はないのだけど。(こういう自分語りを感想に挟む悪い癖がある) でも、この失ってきたものや変わってしまった/変われなかった自分も、実は物語の延長線上にあるような気がする。あさのさんが14年かけて「もう一度彼らに挑む」と決めたように、私も今、変わってしまった自分のまま、再びその世界に触れる。かつての熱量にもう戻れない、でも同時に、「それでも会いたかった」が存在してしまってる。 これは私にとってもある種の「再会」なのだろう。 10代で読んでいた際は、物語は未来へ向かう推進力として読めていた。 逃げないことと決めること、宣言することと引き受けること、舞台を愛することを当時は物語の根底にずっと感じていた。人の理想や理念、組織という枠組みのあやうさ、時間という抗えないものによって変化する「純度」、平和と崩壊が紙一重であること、苦境は絶望でもないこと。変化という状態が持つ可能性と希望と、逆説的な恐ろしさ。目を閉じることの容易さと、目を開いて残し切ることの覚悟。言葉というものは難しく、簡単に伝わらない。伝えようとすればするほど空回る。だからこそ真実ではなく、自分の信念と選び取ったものを愛して信じ抜くことの矜持が、諦めず生きていくために必要なことだと、10代の私は受け取っていた。若かった。そういう「逃げずに前へ進む」「現実を見て、それでも光を見いだす」姿勢を、物語からストレートに吸収していた。終わりについては深く考えず、希望を記憶の箱に入れていた。だから、あの終わりが投げ出しだったという悔いを、あさのさんの語りで知って驚いた。 創作者なのに物語としての都合の良さやカタルシスやら技巧技術に逃げないところが本当に好き。書けないこと、書けなかったこと、それを経て「ようやく今なら書ける」という自覚の上で実際にペンを取り書き出して書き切っていく姿を活字を通して勝手に見てしまう。 だからか、大人になってから同じシリーズとして読んでも、信念を持ち続けることや考え抜くことがどれだけ摩耗するかを知ってしまっているから、なんか読後の質感がちがう。時間を引き受ける読み方を獲得したってことなのかな。 はやく2と3を読まなければという気持ちと、またあの美麗なイラストにやられてしまうのは心臓に良くないという気持ちで揺れて足踏みしている。先日発売された3の書影みたけど、ダメじゃないですかあれ?一般公開して良いんですか??なんか袋綴じにした方がいいのでは???
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