
本屋lighthouse
@books-lighthouse
2026年5月30日

暴力の考古学(1006)
ピエール・クラストル,
毬藻充
読み始めた
とにかくなにかを読みたいという強烈な、あるいは邪な感情の昂りによって、唐突に脈絡なく選ばれたこちらを読み進めてみる。数ヶ月前に読んだサーリンズの本が出てきて、かすかに残る記憶が読解の助けになりうれしい。
未開社会は貧困で、それゆえに戦争が常に起きていた。というイメージがあるがそれは端的に誤りである。実際には未開社会は裕福な社会だったのだ。というのがサーリンズ&クラストルの主張(として私が受けとったもの)である。たとえば、現代を生きる我々は一日に8時間以上も労働(かなり負荷の高いもの)をすることで月に30万円のお金を得ているとする。いわゆる未開社会では月に10万円しか得ていないが、労働時間は月に10時間もない(しその内容も心身の疲弊を伴わないもの)になっているとする。そのうえ、前者では生活にかかるコストが月に25万円かかるが、後者では2万円しかかからない。そういう状況のとき、果たしてどちらが裕福なのか。資本主義のルールにのっとれば前者が裕福となるだろう。しかしクラストルらの言うように戦争が「商取引の失敗」の「結果」であるとするならば、商取引の回数と量の多さを価値基準の最優先項目とする資本主義社会において、戦争がいとも容易く生じているまさにいまの様相も目の当たりにすると、少なくともなんらかの疑問を現状のシステム=規範に対して持たなくてはならないことは明白になる。









