暴力の考古学(1006)

暴力の考古学(1006)
暴力の考古学(1006)
ピエール・クラストル
毬藻充
平凡社
2026年1月8日
37件の記録
  • Usui
    @lighbury
    2026年6月8日
  • naz林
    naz林
    @decayn
    2026年6月4日
  • もちもち
    もちもち
    @o0o0
    2026年6月3日
  • 本日も無事オープンに成功し、仕事を放棄して読んでいた。戦争がある理由、正確には戦争が必要とされる理由が『1984年』のものと類似していて、しかしクラストルの分析では「国家に抗するための戦争」であるのに対し、オーウェルが導き出したものは「国家維持のための戦争」である点で対照的だった。アナキズムと人類学、もっと深掘りせねばならない......。
  • hina
    hina
    @hina13f
    2026年5月31日
  • Chiico
    Chiico
    @chiiiiico
    2026年5月30日
  • とにかくなにかを読みたいという強烈な、あるいは邪な感情の昂りによって、唐突に脈絡なく選ばれたこちらを読み進めてみる。数ヶ月前に読んだサーリンズの本が出てきて、かすかに残る記憶が読解の助けになりうれしい。 未開社会は貧困で、それゆえに戦争が常に起きていた。というイメージがあるがそれは端的に誤りである。実際には未開社会は裕福な社会だったのだ。というのがサーリンズ&クラストルの主張(として私が受けとったもの)である。たとえば、現代を生きる我々は一日に8時間以上も労働(かなり負荷の高いもの)をすることで月に30万円のお金を得ているとする。いわゆる未開社会では月に10万円しか得ていないが、労働時間は月に10時間もない(しその内容も心身の疲弊を伴わないもの)になっているとする。そのうえ、前者では生活にかかるコストが月に25万円かかるが、後者では2万円しかかからない。そういう状況のとき、果たしてどちらが裕福なのか。資本主義のルールにのっとれば前者が裕福となるだろう。しかしクラストルらの言うように戦争が「商取引の失敗」の「結果」であるとするならば、商取引の回数と量の多さを価値基準の最優先項目とする資本主義社会において、戦争がいとも容易く生じているまさにいまの様相も目の当たりにすると、少なくともなんらかの疑問を現状のシステム=規範に対して持たなくてはならないことは明白になる。
  • door
    door
    @door
    2026年5月25日
  • ,,
    ,,
    @hinuber1115
    2026年5月16日
  • 鳥澤光
    鳥澤光
    @hikari413
    2026年4月2日
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年3月16日
    ところで、あらゆる差異を除去することをめざしてこれらの差異を包み込み、多の論理の代わりに相反する統合化の論理を据えようとめざす合法的な力、まさに多の論理を廃止することによってしか成り立たない合法的な力とは何か? 未開社会が本質的に拒否するこの<一者>の別名とは何であるのか? それは国家である。 (p.79) クラストルが「国家」を口にするとき、どこか情念が絡んでいる。 プラトンの「国家」は、水晶宮っぽい。 「国家」とは、身体的であるよりもまず心象である、そんな気がする。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年3月13日
    周知のように、もはや世界中のどこにも、「白人」流の社会-経済的環境と接触のない、完全に自由で、自律的な未開社会などはほとんど存在していない。 言いかえれば、社会を規定し支えている伝統的な力の働きが、むきだしのまま表現されることができるほどに十分に孤立しているような社会を、もはや民族学者はあまり観察する機会を持ってはいないのである。未開社会の戦争は不可視である。なぜなら、もはやそれを遂行する戦士が存在しないからである。 …… 今日の民族学のなかに暴力についての考察がない理由は、第一には戦争がじっさいに消滅しているという事実によって説明されうるだろう。 戦争が消滅したのは、自由が失われてしまった結果であり、<未開人>はこの自由の喪失によって見せかけの平和主義のなかに住まわされているのだ。 (p.17-19) 「未開社会の戦争は不可視である。なぜなら、もはやそれを遂行する戦士が存在しないからである。」 ーー読んでいて不思議な気持ちになる。 自分の感じている現代がクラストルの描写する「未開社会」のようであり、今の自分がここで言われる<未開人>と同じ立場にあると気づく。 「戦争が消滅したのは、自由が失われてしまった結果」 その言説にかなり驚かされるが、悪意のない失言一つで人生を終わりにされるような今の世の中において、何かとこぢんまりとおさまるように仕向けられる窮屈なこの状況を冷静に見つめると、クラストルの主張もあながち言い過ぎではないようにも思える。 戦争の芽を全力で摘もうとする全方位監視・取り締まりもまた、一つの非むきだしの戦争であるということ。 守るべきものとしての自由があり、守らなければ消滅するという不安があるからこそ、戦争は内側に潜在し、ときに外側に現象としてあらわれるということ。 地球の表面の「開拓」をすでに終えた現代において、〈未開人〉と呼べる人は誰か、という自分に残された問い。
  • シンゼン
    @shinzen
    2026年3月13日
  • 喜多倉
    喜多倉
    @kitakura473
    2026年3月2日
  • moto
    moto
    @hadaly1984
    2026年3月2日
  • 記録
    @722anthropology
    2026年2月19日
  • Lotus Pond
    Lotus Pond
    @lotus__pond
    2026年2月5日
  • 夏野菜
    夏野菜
    @Natsuno
    2026年1月31日
  • 遠亜
    遠亜
    @toa_bookworm
    2026年1月23日
  • obakenokuni
    obakenokuni
    @kk
    2026年1月19日
  • dstar10
    dstar10
    @dstar10
    2026年1月19日
    『国家に抗する社会』『グアヤキ年代記』の著者P・クラストルの論文一編と訳者毬藻充、文化人類学者松村圭一郎氏のあとがき、解説を含む。「未開社会はその本質的なあり方において戦争をめざす社会であり…それは未開社会が奴隷状態を拒否する社会、服従を拒否する社会だからである」という考察と主張を芯に、戦争に関する三つの言説を批判する。その中にはレヴィ・ストロースの「交換主義的言説」も入っている。『反穀物の歴史』のスコットや『万物の黎明』のグレーバーにも通底する国家の起源に関する論考。著者の早逝が惜しまれる
  • 芥くら
    @migrado
    2026年1月17日
  • Eunuch
    Eunuch
    @Eunuch
    2026年1月10日
  • Amazonから届いた。平凡社ライブラリー化。クラストルは最近ちくま学芸文庫から『グアヤキ年代記』も文庫化されてめでたいかぎり。丹生谷貴志のエッセイ「投げ捨てる土」では『グアヤキ年代記』が参照されている。しかし平凡社ライブラリーは高すぎるな。
  • こんめ
    こんめ
    @conconcocon
    2026年1月8日
  • 宇都海郷
    宇都海郷
    @KyoUtsumi3
    2025年12月23日
  • sataka
    sataka
    @satakan_443
    2025年12月19日
  • みかこ
    @mkk_713
    1900年1月1日
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