

本屋lighthouse
@books-lighthouse
千葉市幕張の新刊書店
平日14時-21時/土日祝12-19時(定休:毎週月火/第3水曜)
「こども読書ちょきん」やってます
NO HATE🏳️🌈🏳️⚧️
JR/京成幕張駅徒歩6分(近隣にコインパーキング複数あり)
ここは関口個人の読書記録ですが、読んでいる本はだいたい店頭またはウェブストアにあります。在庫がない場合は取り寄せますので、気軽にご連絡ください٩( ᐛ )و
- 2026年5月17日
- 2026年5月15日
ロード・ジムジョゼフ・コンラッド,柴田元幸読み終わった理想はタイとラオスにいる最中に読み終えたかったが、思ったよりもメコン川で寝てしまったので、帰国2日後に読み終える。おもしろかった。以前挫折した『シークレット・エージェント』もいける気がしてきた。 なお、帰国便では『ハムネット』2回目と『おくびょう鳥が歌うほうへ』を観ていたため、本は一切開かず。しかし後者のラストでは伊藤亜紗の本を思い出したりしたため、読書みたいなものだった。 - 2026年5月13日
ロード・ジムジョゼフ・コンラッド,柴田元幸まだ読んでる昨夜、とんでもない雨の音でまたもや目が覚める。日本で言うところのゲリラ豪雨なんて比じゃないレベルのものだった(実際に死傷者が出るレベルのものでなければゲリラという軍事用語を使うのではなく「気まぐれおこりんぼレイン」くらいで十分だと思う)。まるで遠くから飛行機のようなものが近づいてきているかのような音の前触れがあり、それがいつのまにかあたりを満たしてデフォルト設定になっているような感覚。カーテンを閉めているとまったくわからない。 6時前に起きてホテルで朝食。タイ風のお粥。うまし。トゥクトゥクに乗ってチェンライ空港へ。意外と満員に近い便に乗ってドンムアン空港へ1週間ぶりに戻る。機内では『ロード・ジム』。 娘はあわただしげに、ひどく低い声で『これで四人の男と戦えますか?』と訊いた。この部分を語りながら、自分の応答の慇懃な迅速さを思い起こしてジムは笑った。どうやら相当芝居っ気たっぷりに答えたらしい。『もちろんだとも――いいとも――もちろん――何でも言ってくれたまえ』。はっきり目は覚めてはいなかったが、こういう異様な状況にあってこそ礼は尽くさねば、疑いも迷いもない献身を示さねば、そういう思いが頭にあった。(p.398-399) ダブリンに3週間ほどおためし留学をしていた20歳の夏は、まだアレルギーが原因であることがわからぬまま謎の体調不良を抱えていて、不眠対策に軽めの眠剤を飲んでいた。ある夜、眠剤を飲んで眠りについたすぐあとだと思うのだけど、ドアを叩く音がする。眠剤の効きが浅かったのか起きれてしまい、相当にぼうっとした状態で後輩に共有の部屋に連れていかれると、ルームメイトたちがパーティーのようなものをひらいていて、集合写真を撮るからシャッターを押してほしいと言われる。だからきっとなんらかの写真を撮ったはずなのだけど、そこからの記憶はなく、部屋に戻った記憶もない。パーティーに参加した記憶はもっとない。寝ぼけているというにはどこか様子のおかしい、うつろな顔と足どりであったはずの私にシャッターを押されたルームメイトたちこそ、むしろ幽霊に魂を抜かれたように感じたかもしれない。もしかしたらホラー体験として記憶されているのかもしれない。そのことについて後日感謝されたりなにかを言われた記憶はない。とにかく私は必死にシャッターを押したのだろう。なにに対する献身なのかはわからないが、人にはそういうところがあると思う。わけがわからない状況であるからこそその状況におけるベストを必死に探ってしまう。 バスと電車を乗り継いでバイヨークスカイホテルという超高層ホテルへ。部屋は62階。せっかくだから77階の屋内展望台と、84階の屋外展望台へ行く。屋外のにはrevolvingという単語が見え、なんだろうと思っていたが、床が歩く歩道みたいになっていて立ったまま一周できるという代物だった。無駄にハイテクだが、いかんせんそれなりに歴史のある建物なので浅草花やしき感がある。 父は昼に食べたそこそこ高級のごはん(トムヤムクン、プーパッポンカリー、ポメロサラダ)がしっかり効いているためホテル内でゆっくり、私は毎度お馴染みバンコクの紀伊國屋書店へと向かった。文学の棚を中心にじっくり堪能し、結局『ハムネット』の原書を購入。前回は『哀れなるものたち』だった気がするので、どうもここに来ると直近で見て気に入った映画の原作を買うことになるらしい。行きのANA便で映画もあることを確認しているので、明日の帰国便で観る予定。なかったら悲しい。 なんだかんだで私も私もおなかがいっぱいのままなので、屋台でマンゴーライスの小さいパックを買い、父に頼まれていたフルーツも買い、部屋に戻る。最終日だけ父と同室。父は就寝、私は日記を書いて、しばらくしたら就寝予定。 - 2026年5月12日
ロード・ジムジョゼフ・コンラッド,柴田元幸読んでいないおなかの調子はだいぶよく、しかしなんとなく変な感じも残っていたため朝食は近所のセブンで軽く済ませる。近所のセブンという響きはタイにそぐわないと思われるかもしれないが、タイにはセブンがいたるところにある。いまはクレヨンしんちゃんとコラボしているらしく、どの店舗にもいる。 昨日確認済みのバス乗り場まで歩いて移動。やはり鳥の鳴き声がよく聞こえる。タイには鳥がたくさんいる。少なくともよく鳴く鳥がいる。しかしその音にすると「ポーオウ⤴︎」というような声の主は二年前も今日も見つけることはできないでいる。あと、タイの鶏は「コケコッコー」ではなく「コケコッk」のように最後の音がすぐに終わる。おそらく鶏にもさまざまな種類があり、最後を伸ばさないのがso coolであるという共通認識が形成された遺伝子を持つ種類なのだろう。確かに音楽は少し物足りないくらいのほうがリピート再生してしまう傾向がある。あの気持ちいいところをもう一回聴かせてくれ、という思いがヘビロテの根本要素、つまり我々を駆動しているなにかだ。 バスは無事やってきて出発。2時間半かけてチェンライまで移動。相変わらず運転はノリノリで、直線ではなくむしろカーブで抜いていくようなドライビングが続く。マストドーンでつたゐさんにその旨報告し、無事よろこばれる。バスも無事に到着。40年前ほどに父が泊まったことのあるWANCOME HOTELに無事空室を見つける。チェックインまで少し時間があるので散歩し、アカ族という山岳民族の栽培しているコーヒー豆が売りというカフェにて休憩。この情報を父は日本のテレビで得たらしい。チェックインして荷物を置いて、父はやはり40年前に行ったことがある地域に足を伸ばし、私は近場に見つけた山岳民族博物館に行ってみる。 まず30分ほどのビデオを見る。日本語字幕・音声のものがデフォルトで選べるようになっていて、たくさんあるうちの有名ないくつかの民族を中心にその歴史や現在の暮らしぶりが紹介される。動画を見終えたら展示コーナーに移動ができる。基本的にタイ政府によって「タイの暮らし」に適応させられるのがお決まりのパターンで、もとは高地での芥子の栽培で生計を立てていたのが平地での別の作物の栽培や家畜の生育へと移行させられていく歴史が、現在進行形で続いている。コーヒー豆の栽培もその一環ということだ。さらに芥子の歴史を見ていくと、結局は西洋の植民地支配が根本にある。芥子=アヘン(Opium)が経済発展のメシの種として優れていることを発見した西洋は、その栽培を加速させる。もとは「薬用」として適量が使われていたオピウムが、その過程で麻薬=アヘンになってしまう。そのあとの歴史はアヘン戦争だとかで有名なくだりから想像してもらえばイメージはできると思う。これら山岳民族がタイに移動してきたのは実際にはここ100年前後くらいのことで、アヘン戦争よりもあとの移動がほとんどだ。しかしすでに芥子はアヘンになっている。そういった点からも山岳民族は文化を奪われているとも言える。館内には私ひとりだけで、集中して英語と向き合えた。必死に読む。二年前に泰緬鉄道博物館で同様のことをしたときよりも読めている気がする。ありがとうTypee。 観光と搾取は本質的に同じものなのではないか、と昨日からなんとなく考えていたのだけど、今日のあれこれでその感覚は強まった感じがある。搾取された土地で観光は生まれる。観光とはそもそも「他者=異物のありようをおもしろがる」行為であり、その視線にはどうやっても「エキゾチック(を楽しむ)」という要素が存在する。それを完全に脱色することはできない。そして、観光地に住む人は自身の生活を切り売りしてお金を得る。山岳民族集落へのツアーの紹介コーナーが博物館にはあり、その際の各種注意点、つまりリスペクトを持って行動することというものが徹底して記載されていたが、そのリスペクトをもってしても搾取であることからは逃れられない。しかもその生活、文化を失わせている側が企画するツアーだ。よく考えたら意味がわからない。大事にしたいなら放っておくべきだ。奪っておきながら保護しよう、大事にしようとアピールする、その矛盾した態度は植民地主義のそれと同じだろう。搾取はより周縁の異物へと向かっていく。西洋がアジアを、アジアの中の覇権国家が従属国家を、従属国家が少数民族を、少数民族がその内部の弱者(女性と子ども)を。 観光地での値切り行為に感じていた居心地の悪さもここに答えがあった。値切りは搾取だ。おおむね、物価が安いとみなした地域に対して値切りは行なわれる。観光客相手にぼったくってるんだから値切りしていいというのが正当化の理屈だが、より大きな視点で捉えれば、東南アジアの国々の経済を低レベルにしてきた原因は西洋と日本の植民地支配にある。かれらが我々観光客をぼったくるのはその報復であるとも言える。ならばその報いは受けて然るべきだ。ぼったくられても痛くも痒くもないのだから言い値で了解すべきなのだ。それがせめてもの贖罪なのではないか。そして残念なことに、経済的な格差は日本と東南アジア諸国のあいだにはほとんどないように思える。言い値が高いと感じたならそれはぼったくりではなく、自国の経済の衰退が原因だ。 外に出て、来る途中に目星をつけていた公園におやつでも買っていこうかしらん、と思っていたら大量の中学生。おそらく今日から学校が始まり(夏休みが終わった)、始業式を終えた制服の群れが道に、そしてセブンに溢れていた。さながらフェス会場のコンビニのようなセブン店内でバナナのおやつを手に、中学生しかいない列に並ぶ。知らないアイドルのライブに紛れ込んでしまったような申し訳なさを覚えつつ、ベテランであろうレジのおばちゃんの素早い打鍵(機械のほうがそのスピードに追いついていない!)を見ながら待つ。無事に購入し公園へ行くと、当然ながらそこにも中学生たちはたくさんおり、ここも学校の敷地内なのではと錯覚を覚えるほどだった。そのなかに紛れぼうっとバナナのおやつを食べる30代中盤の外国人旅行客。明らかにへんてこだが、へんてこであれるほうが人生は楽しめるからね、へんてこであることを恐れるでないぞ若人よ、などと思いながら無言でバナナのおやつを齧っていた。おいしい。 ホテルに戻って父と合流。近場の夜市のようなところにある屋外フードコート的な場所で夕食。おなかの調子はほとんど通常運行となり、なんだかよくわからない野菜炒め丼を食す。うまし。ひとり湯河原にリトリートの旅に出たひろこさんから景色のよい露天風呂、裸の足先だけが隅に写っているちょっとえっちな写真が送られてきたので、こちらも負けじとえっちな写真、目の前の野菜炒め丼の写真を送り、ベビーコーンがえっちだという評論を繰り広げるなどした。ひろこさんはそのあと部屋でビールをぶちまけたらしく、通常運行のもよう。本は一切読んでいない。 - 2026年5月12日
ロード・ジムジョゼフ・コンラッド,柴田元幸まだ読んでるメコン川結局昨日はおなか、というより胃の様子がおかしく、ファイサイから友好橋を車で渡ってタイ・チェンコーンに入ってゲストハウスを見つけてから、おおむね部屋で横になっていた。メコン川の向こうにはファイサイがあり、入国審査といった手続きがなければ渡し船で行ける距離だ。やはり国境は廃絶したほうがよい。 しかし移動そのものは好きで、このまえ仲西さんも書いていた話には共感することばかりだと気がつく。むしろ目的地につかないほうがいいまである。ただただ移動する、正確には運ばれるほかない状況にいつづけたい、なぜならなにもしないでいい理由ができるから。移動の際に必要なのはスマホではなく本、しかもできるかぎりよくわからない本がいい。うまく理解できずに放り出して、でもほかにやることもないから本を読むしかなくまた手にとってしまう。2026年5月10日の私はそれをベッドのうえで、移動もできずなんともいえない腹部の痛みを抱えながらおこなっていた。 - 2026年5月10日
ロード・ジムジョゼフ・コンラッド,柴田元幸メコン川彼は私に話していたのではなかった。私の前で、見えない人格と議論を戦わせていたのだ――己の中の、自分と敵対する、しかし不可分の相棒、己の魂を等しく所有しているもうひとつの存在と。これはとうてい、法廷の尋問などで扱いうる事柄ではない。それは生の本質をめぐる微妙にして重大な論争であり、裁判官などお呼びではなかった。彼が求めていたのは同胞であり、助けてくれる人間であり、共謀者だった。(中略)。私は何だか、想像しえないものを把握し理解するよう求められている気がした。(p.127-128) 昨夜、どうも体調が悪い気配があり夜中に薬を飲んだ。起きたらだいぶよくなってはいるが、頭痛のタネが明らかに残っている。旅先では卵と乳の摂取量をコントロールしきれないため、アレルギー由来の頭痛になりやすい。そしておそらくおなかの調子も悪い。という状況で今日も船に乗り、1日ずっと船の上だった。昨日より乗客も少なく、椅子を4人分使えたためほとんど寝そべって過ごす。寝ては本を読み、本を読んでは寝た。ラオスとタイの国境にある町、ファイサイに到着。 - 2026年5月8日
ロード・ジムジョゼフ・コンラッド,柴田元幸メコン川その後も読もうと思うが、疲労のせいか船の揺れがちょうどいいせいか、とにかく終始非常に眠く、寝ては読み寝ては読み、岸にいる動物たち、主に水牛と思しきものらを見るなどしているほかない。 外国行きの郵便船が午後に着いて、ホテルの大きなダイニングルームは、ポケットに世界一周百ポンドの切符を入れた人々で半分以上埋まっていた。旅行中なのに、家にいるのと変わらずたがいに相手に退屈している様子の夫婦が何組もいた。小さなグループがいて大きなグループがいて、一人で重々しく食事している人物がいれば騒々しく美食に舌鼓を打っている者もいたが、誰もがみな、ふだんの暮らしと同じように考えたり喋ったり冗談を言ったり顔をしかめたりで、新たな事物を知的に取り込む度合たるや、上の階に置いたトランクと変わらなかった。(p.106) なんだか色々なことを考えようと思ってはいたものの、とにかく眠くなにも考えられない。タイ・サンクラブリーでは鳥の鳴き声がいたるところで聞こえてきた記憶があるけれども、ラオスでは鳥をほとんど見ない。首から下げた鐘をならす水牛ばかり見ている気が……と考えたところで、カウベルってそういうこと?となる。調べる気力もない。眠い。 結局9時から18時過ぎまで船に乗っていて、ようやくパークベンという名の村に着く。下船してゲストハウスを見つけ、夕食へ。ラオスカレー。具材を2つ選べとあるのでバッファローと豆腐の組み合わせを選択。うまし。向かいのグループが食べ終わり、すると黒猫が机に飛び乗り食器をぺろぺろ。満足してこちらにきて、椅子に座って待っている。このお店のカレーがうまいことを知っているのは人間だけではない。 - 2026年5月8日
ロード・ジムジョゼフ・コンラッド,柴田元幸読み始めたメコン川父とラオスにいる。メコン川を北上し、タイ・チェンライ方面へ向かう。というロケーションで読むのはなんだろうと考えた結果、船という共通項によって安直に選ばれた。『闇の奥』は好きな作品。期待。 事実に即した自分自身の陳述を聞きながら、すでにはっきり抱いていた、言葉などもう自分には役に立たないのだという思いの正しさを改めて認めた。あそこにいる男は、僕の抱えているどうしようもない困難がわかっているみたいに見える。ジムは男を見て、それからきっぱり、最後の別れを告げたあとのように目を逸らした。 そしてその後、何度も、世界の果てのさまざまな地で、マーロウは自ら進んでジムを思い出すことになる。長々と、詳しく、口に出して思い出すことになる。(p.47) 難破船の乗組員だったジムは犯罪者のように裁判に参加させられ尋問を受けている。おそらくジムはPTSDのようななにかになっているのかもしれず、そのかれの「言葉」を代わりに発するマーロウ=語り手という構図が導入されるこの場面、痺れる。 - 2026年5月3日
たべっ子どうぶつ THE MOVIE ストーリーブック木滝りま,池田テツヒロ世界平和たべっ子どうぶつ映画を観た映画公開1年記念を勝手に祝し、お店でお客さんと観ていた。アイドルグループであるたべっ子どうぶつたちは当初「ぼくたちはみんなを楽しませることしかしてきてないから、たたかうなんてできない」というようなことを言って尻込みするが、結局たたかいにでるし、しかも非暴力を貫徹しながら悪を倒すことになる(さらに重要なことに、その悪も存在ごと絶滅させられるわけではなく、改心への道筋が整えられている)。完全に社会運動の話だった。少なくとも、いま、そして5月3日の今日、各地で平和のための集会がひらかれているまさにその日には、希望を提示する物語であるとしか思えないのだった。つまるところ激アツ。アメイジングビスケット、バターフレーバー。 なお、来年の2周年に向けて丹渡さんと『たべっ子どうぶつTHE MOVIE』のファンブック的なものを作る計画が立ち上がった。『ユリイカ2027年5月号 特集:たべっ子どうぶつ』が刊行されるよりも先に我々がやらねばならない。たべっ子どうぶつガチ批評。世界はやはり平和であるべきだ。 - 2026年5月2日
彼女のカロート荻世いをら読んでる表題作を読み終える。もしかしたら映画『落下音』とつなげて考えることもできるのではないか、という直感というほかない直感が残った。どこから来ているのかがわかってもなお残る恐怖。 - 2026年4月30日
彼女のカロート荻世いをら読み始めた世界がクソな状況になっていて、そこに直球の抵抗をし続ける日々だからこそ、文学が世界を変えるという間接的な方法への信念も同じ強度でおのれの身体から放出されている感覚がある。いや、そう思いたいだけかもしれないが、そう思いたいという気持ち、期待、想念、そういったなにか無形で荒唐無稽なものこそを強く持ち続けていなければ、この世界で生きていくことはつらく苦しいものになる。だから文学を、文学をもっとくれ、という欲求に身を任せて最近はひたすら文学に耽っている。冒頭数ページでわくわくした。半分くらい読んで燃え上がっている。Readsに記録なんかしている場合ではない。しかし風呂にも入らねばならない。時間が足りない。戦争をいますぐ止めろ。 - 2026年4月29日
文学は割に合う!アントワーヌ・コンパニョン,本田貴久プルースト読み終わった次から次へとプルーストが出てくる本だった。『失われた時を求めて』岩波版4巻の訳者あとがきに本書著者の名前も出てきてたからさもありなんではある。 - 2026年4月28日
文学は割に合う!アントワーヌ・コンパニョン,本田貴久プルースト読んでるしたがって、最良でもっとも人間的で、説得力があり、治療技術も高い医者になるための一環として、プルーストが医学部で読まれているのです。(p.173-174) 文学は健康によい、という話のなかでもプルーストが出てくる。丹渡さんが(そして柿内さんが)プルーストを読むことで「たのしい/うれしい」時間を過ごし、その後の生活の方向性を変えることになったのも、そういうことなのかもしれない。 - 2026年4月28日
文学は割に合う!アントワーヌ・コンパニョン,本田貴久読んでるかくして、遅さを擁護するときとなりました。遅さとは、無気力、怠惰、無関心のことではなく、言語と文学と読書に対する長期的投資において遅いという意味であり、聖王ルイの「察するレトリュール」、そしてアルドゥス・マヌティウスの「ゆっくり急げ」という格言に含意されているものです。(p.155) - 2026年4月27日
失われた時を求めて(4)プルースト,マルセル・プルースト,吉川一義プルースト読み終わったそもそもプルーストには女を描けないのではないか、そんな批判をする作家や批評家はあとを絶たない。しかしプルーストにその筆力が欠けているのではなく、恋愛の対象がぼやけているのは恋心のひきおこす必然なのである。(p.692) 恋の対象がぼやけるというのは『恋の幽霊』における、つち、しき、きょう、あす、の関係でも「わたしたち」という複数形の主語によって語られたもので、個人ではなくその個人が属する集団を好きになってしまうという状態が、プルーストにおいてはアルベルチーヌが属する集団に対して向けられていた。少し違うのは、アルベルチーヌたちは「私」に対して恋の身体になっていなさそうなこと。ざんねん。 - 2026年4月26日
- 2026年4月25日
文学は割に合う!アントワーヌ・コンパニョン,本田貴久プルースト読み始めたそしてプルーストです。プルーストは、役に立たない作家の代表とされています。プルーストが、世間から隔絶して、コルク張りの部屋の中に引きこもっていたように、柔らかいソファーにうもれて彼の作品を読むと、美的感動を与えてくれるでしょう。しかし、ひとたび外に出て、街路を渡る必要が出てくるとなんの役にも立たないのです。「わたしの場合、プルーストは通りを渡るのには役立ちませんでした。プルーストは、わたしの人生においてなにも教えてくれませんでした」とジアンは言いました。(p.30) - 2026年4月24日
文学は割に合う!アントワーヌ・コンパニョン,本田貴久次に読む夕方からまったくだれも来なかった店内で仕事を放りだし『恋の幽霊』を読みつづけ、なにかに乗っとられたかのようにわたしたちになった私は気がつくとこの本だった。 - 2026年4月24日
恋の幽霊町屋良平読み終わった「しらねぇー」 昨日と今日、いつもは家で仕事をしているひろこさんが家にいたくない気持ちになってずっとお店の奥の部屋で仕事をしていて、だからきっとふだんは私としかまじりあっていないお店の身体のなかにひろこさんもいて、しぜんひろこさんの身体も私とまじりあっていたはずで、その居心地のよさからか外に出ようなんて思わなかったのだけど閉店の時間だから私は外に出て、そしたらここ数ヶ月ずっと続いている大規模修繕の仕切のために張られたであろうテープが私のお店、つまり私の身体の一部である備品に繋がれていて仕舞うことができず「でちゃった」ままになる、私の文体は傘立て、数年間ろくにメンテナンスもされずに使われ続けて錆びついたニトリ製のそれだった。
- 2026年4月24日
ゆっくり見ると、うれしい 「スロー・ルッキング」ワークショップ記録集本屋lighthouse本屋lighthouse出版部ゆっくり見るとうれしいし、じっくり見られるとうれしい、ということについての塊のような本ができました。いまの世界にとって大切な本になったと思うので、たくさんの人に(でもゆっくりと!)読んでもらいたいです。 よい文章を書きたい、と思っている人にもおすすめです。ゆっくりよく見るというよいインプットによって生まれてきた、よい文章というアウトプットがこの本には詰まっているのです......。 https://books-lighthouse.com/publishing/slowlooking/ *添付の写真は表4です
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