

本屋lighthouse
@books-lighthouse
千葉市幕張の新刊書店
平日14時-21時/土日祝12-19時(定休:毎週月火/第3水曜)
「こども読書ちょきん」やってます
NO HATE🏳️🌈🏳️⚧️
JR/京成幕張駅徒歩6分(近隣にコインパーキング複数あり)
ここは関口個人の読書記録ですが、読んでいる本はだいたい店頭またはウェブストアにあります。在庫がない場合は取り寄せますので、気軽にご連絡ください٩( ᐛ )و
- 2025年11月16日
見知らぬ人を認識するイザベラ・ハンマード,岡真理読み始めた仕事をするのでもなく、タブレットのスクリーンを通して一方的に流れて来る映像や情報を受動的に消費するのでもなく、私たちの夢の領域に属する感覚のいくつかを働かせたり、他者の声に注意深く耳を傾けたりしながら、私たちが想像力豊かに参加することを求め、この惑星に生きているという私たち自身の経験に一筋の光を投げかけてもくれるかもしれないやり方で、自分たち自身以外の経験について深く思索するために、です。小説とは、人間には語りという形式を通して世界を理解したい、経験したいという根源的な欲求があり、その欲求が脈々と受け継がれてきたということの表れです。(p.13-14) - 2025年11月16日
失われた時を求めて(4)プルースト,マルセル・プルースト,吉川一義まだ読んでるそもそもなにより愚かなことは、自分には縁のない感情をすぐに滑稽だとかけしからんとか言うことでしょう。私は夜が好きですが、あなたはそれが恐ろしいとおっしゃる。私はバラの香りが好きですが、バラの匂いをかぐと熱が出る友人もいます。だからといってその友人は自分より劣っていると思うでしょうか。私はなにごとであろうと理解しようと努め、なにひとつ断罪しないよう気をつけています。(p.276-277) なんてそこそこいいことを言っていたシャルリュスが数ページ後には理不尽かつトンチキな説教あるいは講釈を「私」に対してしかけてきていて、ジェットコースター。 - 2025年11月15日
けんちゃんこだま待望の1冊プルーフをもらったので読み始める。連作小説のひとつめ。エッセイでのこだまさん、あるいはツイッターで大喜利のような投稿をしているときのこだまさんの空気感と、真摯な小説を真摯に書こうとしている空気感が、見事に調和している。このひとつめを読めただけでも9年待った甲斐がある。 - 2025年11月15日
時間旅行者の日記藤岡みなみインタビューしますインタビューしましたバリューブックス運営の「本チャンネル」にて著者の藤岡みなみさんにインタビューしました。11月末刊行予定。インタビューもそのあたりに公開されると思います。 個人的にこの1年間は「日記」の年で、自分で書き続けているものにくわえ、刊行済みの丹渡実夢『迂闊 in progress〜』、そして年明けに出す予定の仲西森奈『ホームページ』と日記要素のある他者の作品に触れ続けていたこともあり、なんというか今年の集大成のような1冊に感じました。今年読んだ日記関連本、そして自分の生活そのものがすべてつながっていく感覚もあり......。 他者の日記を読むと元気が出る。ということをあらためて実感する1冊になっています。元気になりたい人はぜひ。 - 2025年11月13日
名前が語るお菓子の歴史 [新装版]ニナ・バルビエ,エマニュエル・ペレ,北代美和子代わりに読みました【代わりに読みました】 ニナ・バルビエ/エマニュエル・ペレ『名前が語るお菓子の歴史[新装版]』(白水社)を代わりに読みました https://sizu.me/b_lighthouse/posts/a6z5mvw6xce7 - 2025年11月10日
失われた時を求めて(4)プルースト,マルセル・プルースト,吉川一義まだ読んでる『キッチン・コンフィデンシャル』と同時に読み進めていると、具体的な描写はまったく違うのにそのエッセンスみたいなものは共振している感じがあり、妙なグルーヴを生み出している。かたや下品だがなぜかもっと摂取したくなる比喩が続く自伝、かたや上品な社交生活を描きつつも下劣な人間性をも暴き出す小説。 - 2025年11月8日
失われた時を求めて(4)プルースト,マルセル・プルースト,吉川一義まだ読んでる『キッチン・コンフィデンシャル』の厨房ではずっと決闘のような景色が広がっているのだが、今宵のプルーストでも「翌日、青年が名刺を差し出したときに、私はこれは決闘を免れないと思った」(p.206)とあり、こちらもコロッセオだった。 - 2025年11月8日
- 2025年11月7日
キッチン・コンフィデンシャルアンソニー・ボーデイン,野中邦子読んでるディミトリは不吉な予言をした。食事の真っ最中にテーブルの上で崩れ落ち、どろどろと煮えたぎったホワイトシチューが溶岩のようにあふれだして、逃げまどうお客の膝に流れ落ちる。ひどい火傷になり、きっと「傷跡が残って・・・・・・裁判沙汰になり・・・・・・世間に顔向けできなくなる」。万が一そんなことになったら日本軍人のように責任をとって自害すればいいだけの話だと心を決めて、ディミトリはやっと気をとりなおした。「あるいはヴァテールのようにね」と彼は付け加えた。「魚料理を出すのが遅れたという理由で、彼はみずから剣の上に身を投げたんだ。それしか道はない」。(p.59-60) ヴァテール!また会えたねヴァテール!今年3回目の遭遇。存命の知人よりも数世紀前の死人と顔を合わせている私はといえば、シェフ(ひろこさん)不在のなかテキトーに調理し味のしない野菜炒めを誕生させていたが、私の王は私なので自害することもなく、その夜ウエルシアにて半額になっていた青椒肉絲の素を買った。「ピーマンを入れるだけ!」とあるが無視して冷蔵庫の玉ねぎとネギを入れた。問題なくおいしい。 - 2025年11月6日
- 2025年11月5日
失われた時を求めて(4)プルースト,マルセル・プルースト,吉川一義プルースト読んでるまだ読んでるフランソワーズを求めて帰宅し、寝る支度をしておふとんにいる。フランソワーズは出てこなくて、代わりに「私」が祖母に対してこんなことを言っている。 「ほら、ぼくってなんにでも慣れる人間でしょ。いちばん愛している人たちと別れると最初の数日は辛くて悲しいけれど、でも、ずっと変わりなく愛してはいても、だんだん慣れるし、生活だって落ち着いて穏やかになるんです。ぼくは堪えてゆけますよ、愛している人たちと別れても、何ヵ月でも、何年でも・・・・・・」(p.200) どう考えても嘘だった。嘘すぎて可愛かった。 - 2025年11月5日
キッチン・コンフィデンシャルアンソニー・ボーデイン,野中邦子読み始めた調理担当のひろこさんが1週間不在になるその始まりの日、草野球仲間の爺ちゃんからどでかいさつまいもをもらってしまった。どうにかせんといかん。芋をすりつぶし、米粉、砂糖、豆乳を混ぜてペースト状にし、とりあえずフライパンで焼いてみた。ひろこさんに写真を送ったら「失敗したわんちゃんのおやつみたい」と言われる。しかしここで閃いた。ひとくちサイズに丸めて、ノンフライヤーとやらで揚げてみるのはどうか。奇跡は起きた。外はカリカリ中はホクホクの謎のおやつが完成した。分量を一切計っていないので再現不能。 というのが昨夜のことで、どう考えても今日読み始められるのは『キッチン・コンフィデンシャル』だった。著者はヴィーガニズムを嫌い、「神経症的な自称「乳製品アレルギー」」(p.10)なんてことも書いている始末なので、おそらく馬は合わない。合わないからこそ読みたいとも思う。高市は残業しやすいようにするとかわけわからんことを言っている。きっと著者はそれを歓迎する。だからこそ「なかよくなる」ことが必要だと、いまの私は考えている。 そうして読み始められ、 初めて料理の味を楽しみ、もっと大事なのは、その味が記憶に残ったことだ。私は我慢強いイギリス人のウェイターに、このとろりと冷たい、おいしい液体はなんなのかと尋ねた。 答えは「ヴィシソワーズ」。(p.11-12) そういえばフランソワーズはどうしているのだろうか。 - 2025年11月5日
失われたいくつかの物の目録ユーディット・シャランスキー,細井直子読み終わったものっそい集中力で仕事をこなしてしまい、すべてが尽きてしまった。失われたものの目録のなかに集中力を書き足し、私は本を読み終えた。 - 2025年11月3日
フランケンシュタインメアリ・ウルストンクラフト・シェリー,小林章夫映画を観たデル・トロの映画を観て、帰宅。長い一日。英文学生時代に読んだ原作の記憶を朧げに思い出しつつ鑑賞。ヴィクターに資金援助する人が『哀れなるものたち』のゴッドに見えて仕方なく、しかし別人であることがいま調べてわかるなどしている。ランティモスの下でベラをヴィクターのごとく創造し、今度はデルトロの下でヴィクターに資金援助する者に転生したのか、懲りないやつめ、とか思ってたよごめんね。 - 2025年11月3日
失われたいくつかの物の目録ユーディット・シャランスキー,細井直子読んでる木場まで橋本さんと電車で移動し、私は菊川方面へ歩く。途中のバーミヤンで炭水化物を摂る。 私たちは知っている、言葉や記号の意味は変化するものだということを。長い間、並んで記された三つの点(・・・)は失われたもの、未知のものを指したが、いつしか口に出されなかったこと、言葉にしえないことをも表すようになり、削られたもの、省略されたものだけでなく、未決定のものをも示すようになった。こうして三つの点は、暗示されたことを最後まで考え、欠けているものを想像するよう促す記号となった。それは言葉にしえないことや黙殺されたこと、不快なことや卑猥なこと、有罪とされることや推測的なこと、そして省略の特別な一変種として、本源的な事柄を置き換える代替物である。(p.131) - 2025年11月3日
ピュウキャサリン・レイシー,井上里買った@ 本屋 BREAD & ROSESお店はおやすみにしておでかけ。今日は橋本さんと。橋本さんと自分のお店以外の本屋にいるのははじめてかもしれなかった。五香駅からさくら通りを歩いて10分でパンとバラの名を持つお店に辿り着き、常盤平駅へもさくら通りを歩いて10分、そのまま八柱まで歩き続けた。さくら通りといえば私はandymori。ただそれが書きたかっただけの記録。 - 2025年11月2日
賽の河原村上晶読み終わった結局営業中に一気読みしてしまった。1日で本を読み終えたのは久しぶり。 死者を手放すこと、つまり死者があちらの世界で成長していくという認識を持つこと、というくだりが印象的だった。現代はその感覚が薄れており、むしろ「生前のままの状態」を「記憶しておくこと」が意識されているのではないか、というところも。たぶん私は手放す側のタイプ。 - 2025年11月2日
賽の河原村上晶読み始めた『失われたいくつかの〜』を家に忘れてきたためこちらを読む。 こうした抽象的な口寄せの内容が依頼者にとってリアルになるためには、聞いている側が具体的な人間や事件を組み入れる必要があるとする。そうした依頼者の参加がなければ口寄せは無意味になるという。(p.41) そうした曖昧な感覚を捉えるためには、むしろ真偽という尺度は邪魔になる。真偽を突き詰めようとすると、本当でも嘘でもないという次元が見えなくなってしまうためである。(p.45) イタコの語りを読み解くには、イタコと依頼者のあいだに「型」が共有されている必要があるとのこと。ゆえにそれが共有され得ない「有名人を降霊させる」といったものは虚無である。 生成AIによるフェイク動画のことを考えてみると、おそらくここにも「騙す/騙される」の型がある。フェイクだとわかって楽しむ、あるいは本気で騙されたとしても最後にはフェイクだとわかるような仕掛けがある。そういった型があるからこそ、我々は安全に楽しむことができる。しかしここ最近のフェイク動画はその型を失っていて、作り手は本気で騙すために作り、受け手は騙されていることに気づけないままでいることが増えている。もはやこれは娯楽ではない。「騙されている」ことに気がつかない者がミサイルのボタンを押す未来はすぐそこにある。「騙されていることに気がつかない者がミサイルのボタンを押している」フェイク動画を見た別の最高責任者が、それを本当だと信じてミサイルのボタンを押すかもしれない。こんな陳腐なストーリーで世界は滅ぶ。 - 2025年11月1日
失われたいくつかの物の目録ユーディット・シャランスキー,細井直子読み始めた記憶とか書き残すとかそういったことをテーマにしたものを読み続けていたこの数ヶ月のような気がして、自然と本書が選ばれた。 記憶に残ったのはある奇妙な状況、つまり居住地の中心にマルクト広場ではなく、緑なす若い菩提樹の木陰に、鋳鉄の柵に囲われる形で墓地があるのを発見したことだった。(中略)。彼女は台所で料理をしながら、早くに亡くなった息子の墓を垣間見ることができるのだった。(中略)。デンマーク語で「小さな島」とか「水に囲まれた」という意味の名前を持つこの場所に住む人々は、同じくらいの緯度の国々で通常行われているように、共同体の内部から市門の外へと死者たちを追放する代わりに、死者たちを文字通り町の中心に迎え入れた。だからこそ、より生に近いのだと。(p.11〜12) エマ・ドナヒュー『星のせいにして』(河出書房新社)を思い出す。あの小説における死も距離が近かった。そして死は閉じ込められていた。病院の地下に、あるいは病室に、とにかくグッと押し込められ、押し込められるがゆえに忘れられていた。それとも忘れるために、ないものにするために、そうしていたのかもしれない。町の中心にある死と、病院の中心にある死は、明らかに違うものらしい。そして墓地がすぐそばにある暮らしというのは、幕張の祖父母がしていることであり、週に数回そこに行っている私もまた、その暮らしの範疇にいる。 - 2025年10月31日
Θの散歩富田ララフネゲラをもらってます読み終わったたぶん『迂闊 in progress 『プルーストを読む生活』を読む生活』を先に読んでいたからこそ、この小説を(さらに)面白く読めたような気がする。さらに言うならば、刊行に向けて制作中の仲西森奈『ホームページ』のゲラを何度も読んでいたからこそ、とも言える。おそらくこの3つの作品につながりを見出せるのは現時点では私だけなのだけども、なんというか、まったくうまく言い表すことができないが、なにか視界がひらけた、というような感覚がある。本書の刊行が楽しみだし(11月中旬)、『迂闊〜』もたくさん読まれてほしいし、『ホームページ』もなんとか1月初めには刊行したい。元気になった。
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