

本屋lighthouse
@books-lighthouse
千葉市幕張の新刊書店
平日14時-21時/土日祝12-19時(定休:毎週月火/第3水曜)
「こども読書ちょきん」やってます
NO HATE🏳️🌈🏳️⚧️
JR/京成幕張駅徒歩6分(近隣にコインパーキング複数あり)
ここは関口個人の読書記録ですが、読んでいる本はだいたい店頭またはウェブストアにあります。在庫がない場合は取り寄せますので、気軽にご連絡ください٩( ᐛ )و
- 2025年6月13日
- 2025年6月12日両膝を怪我したわたしの聖女アンドレア・アブレウ,五十嵐絢音,村岡直子読み終わった原文で読みたくなった、つまりグッときたということ。かつてスペイン語を第二外国語で選択していたことを思い出したが、巻舌発音がうまくできることくらいしか誇れることがなかった。
- 2025年6月12日両膝を怪我したわたしの聖女アンドレア・アブレウ,五十嵐絢音,村岡直子まだ読んでるそしてわたしは海を見た、いつも同じものに見える海と空、毎日同じ灰色の濃いかたまり。地区の人々の悲しみは雲なんだ、うなじの先、脊柱の一番上の部分に突き刺さった雲なんだという考えがそのとき浮かんだ。(p.148) 気圧が低いときに頭が痛くなったり、気分が落ち込んだりするのは、首のあたりに雲が突き刺さってるから。そう考えると納得した。
- 2025年6月10日両膝を怪我したわたしの聖女アンドレア・アブレウ,五十嵐絢音,村岡直子読んでる昨日から読み始めた。最初は少々飲みこみにくかったが、途中からギアが上がってきた感じ。作品のギアなのか私のギアなのかはわからない。ルシア・ベルリンの世界をさらにぶっ飛んだものにして、登場人物の年齢を10歳前後にした、そんなような読み心地と形容するのは正しいだろうか。
- 2025年6月9日発声と身体のレッスン鴻上尚史読み終わった代わりに読んでる発声のレッスンの頃からずっと向井秀徳だったのだけど、身体のレッスンになったら向井秀徳でしかなかった。新宿都庁がそびえ立つ、朝焼け、いらだち、まばたき、してるあいまにあいまいに、真昼間、うしろ向きでぶらぶら歩き、だんびら、振り回す、DANBIRA、振り回す、健康のためにぶりぶり回す。
- 2025年6月7日氷の城壁 13阿賀沢紅茶鬼の発送作業とそれに伴い積み上がっていた段ボールたちを片付け終わり、早く帰ればいいものの帰りたくない、なんか無駄に時間を過ごしたい、という定期的になる謎の心持ちになり、やはりこれまた定期的になる再読欲がやってきている『氷の城壁』を読んでしまった。とりあえず13巻まで。さすがにもう帰る。恋愛の話が主軸ではあるものの、一般的なラブそしてロマンティック的なものとは異なるテイストの愛がちゃんと描かれていて、おそらくそこにこの作品の肝がある。ラブアンドロマンティックな恋の話として読まない、その読み方にひらかれていると言えるかもしれない。
- 2025年6月7日版元番外地下平尾直インタビューしますゲラをもらってますシモヒラオ氏が子どもの頃に作者不詳のまま覚えていた詩のフレーズに夕暮れというワードがあり、夕暮れといえば向井秀徳になっている私はもうそこからin the MATSURI STUDIOだった。今日も夕暮れは歪んでいる。
- 2025年6月5日両膝を怪我したわたしの聖女アンドレア・アブレウ,五十嵐絢音,村岡直子読みたい終わらない発送作業藤岡みなみさんの新刊『ぼちぼち』の流通を委託しているので注文をもらった本屋に発送をしているのだけど、まったく終わらない。明日にはくどうれいんの新刊も30冊きて、ぜんぶ発送しなくてはならない。もうどうすればいいのかわからない。そんななか駄菓子を数個ずつ20回くらいにわけて買いにきたキッズの塊たち、そしてお店のこども読書ちょきんを使って本を買っていくいつものキッズの塊たち、が2時間くらい途切れず、夕方になりやっと帰った頃合いで私は気がつくと「地獄だ......」と漏らしており、キッズの塊たちに紛れて入店していた常連W氏にはきっと聞こえていたであろう。なにもかもを終えたときにはきっと崩壊しているに違いなく、崩壊したまま読むこいつは極上でまちがいない。
- 2025年6月5日生物界は騒がしいD.G.ハスケル,屋代通子まだ読んでる生息する環境によって使う音の種類、主に高いか低いかという周波数の違いに使い分けが生じるという話を読んでいるあいだ、脳内で再生される音のデモはすべて向井秀徳が発していた。向井の声を捉えるためにキワキワに研ぎ澄まされた聴覚神経は、外で降りはじめた雨の音をも、いちはやく察知する。
- 2025年6月4日生物界は騒がしいD.G.ハスケル,屋代通子まだ読んでるだいぶ間があいてしまったが再開。哺乳の機能が発声の機能を複雑で高度なものにしたらしい。乳を吸う、この「吸う」という機能がすごいらしく、そのおかげで発声やら調音やらもできるようになった、みたいなことが書いてある。この本も「発声と身体のレッスン」だった。 文字を目にして三〇〇ミリ秒後、脳の視覚野を電気信号が走る。四〇〇ミリ秒後、聴覚野に火が点き、音と言語を解釈する部位がすみやかに続く。書かれた文字に注意を向けてから一秒もしないうちに、黙って読み上げられた単語が脳の「聞くこと」に関わる領域をあわただしく活動させる。黙読することでわたしたちは、書いた人間の声の亡霊に、触れることができるのだ。(p.90) 『発声と身体のレッスン』を読むとき、すでに私は著者ではなくなぜか向井秀徳の声と動きによって「声の亡霊」が語りかけてくるように感じている。
- 2025年6月1日発声と身体のレッスン鴻上尚史まだ読んでる代わりに読んでるストレッチとは、あなたの「からだ」とあなたの“対話”です。あなたの「からだ」は毎日、コンディションが違います。ストレッチは、あなたがあなたの「からだ」に、「今日の具合はどうですか?」と問いかけるものなのです。それを、中学や高校の時にやったように「いっち、に〜、さん、し〜」と円陣を組みながら、全員でやっては、まったく意味がないどころか、害悪になります。(p.264) まじでそれな〜、である。著者とハグをした。どうして一律の準備運動をせねばならんのか、それが最もよいことと考えられているのか、まったくわからなかったのを思い出した。実際、一流選手は自分のスタイルでストレッチなりなんなりをやっている。それが世間ではルーティンと呼ばれるもので、すごいすごいともてはやされもする。しかし子どもに対する指導では、それは忌避される。みんなとちがうことをやっていると怒られるし、そもそもちがうことをできないようにコントロールされる。この矛盾が理解できなかったしいまもできないが、やはりこれも嫉妬のなせるわざなのかもしれない。自分ができないこと(=みんなとちがうことをやる)をやっている、やろうとしている他者がうらやましくて邪魔をする。しかしあまりにも遠くにいってしまうと、大谷翔平のようになんでも「すごいすごい」になる。腹がたってきた。この本、記憶の蓋をこじあけてくる。
- 2025年6月1日ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピアデボラ・ソロモン,太田泰人,林寿美,近藤学読み終わった晩年になってようやく名声やら評価やらを手に入れ始めたコーネルだが、それゆえかどんどん人との関わりを減らしていく。しかし学生を筆頭にした若者や子どもに対しては、むしろ積極的に関わっていく。もちろん、女性に対する偏執的で歪みのある愛情、あるいは性的欲求も変わらない。 ほとんど毎日、台所のテーブルで本を読んだり書きものをしたり、時折かかってくる電話に答えたりして、落ち着いた暮らしを送っていた。青いタオル地のバスローブを着たまま、ことさら何かに駆り立てられるかのように自分の見た夢を日記にしるした。弟や母の夢を見た。ジョイス・ハンターと一緒にストランド・フードショップでジュークボックスに耳を傾けている夢を見た。彼が日記をつけているのか、日記が彼を支えているのか、わからなくなっていた。(p.438)
- 2025年5月31日版元番外地下平尾直インタビューしますゲラをもらってます仕入れます東京は東久留米の独立国家「共和国」の総統であり奴隷筆頭であるシモヒラオナオシによる1冊......ただの酒飲みじゃないということがわかる、いや酒飲みであることは変わらないのだが、しかしぜったいにたのしいやろこれ、とゲラ冒頭を読みつつ思う強風強雨のin the lighthouse待ちぼうけな1日であった。「本チャンネル」にてインタビュー予定。
- 2025年5月31日発声と身体のレッスン鴻上尚史まだ読んでる代わりに読んでる「体の外側へ」という方向は、言ってみれば、「からだ」をどんどん意識していくことですが、「体の内側へ」というのは、「からだ」をどんどん忘れていく方向です。(p.207) 私達は、嫌な仕事や嫌な人に会う時に、無意識に体に力を入れます。(中略)。それは、決して、悪いことではありません。(中略)。ですが、問題は、その緊張が体に定着してしまうことなのです。(p.210) 本筋とは関係ないけど、著者は「夜、街をうろうろするのが好きな若い男性」(p.213)と描写されるような、ヤンキー風のだらしない姿勢をとっている人物をよく悪い例として出す。たぶん好きなんだと思う。
- 2025年5月31日ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピアデボラ・ソロモン,太田泰人,林寿美,近藤学まだ読んでる私たちが偉大な芸術家の伝記を読む理由のひとつは、彼らが周囲の人々の人生を壊していくのに魅了されるからである。「芸術は救いとなる」というが、芸術は人を傷つけることもある。ピカソ以降の近代芸術家たちの人生譚にはよく裏切られた妻や恋人、母親や子どもたちの涙を誘う物語がある。 コーネルはそれと正反対だった。驚くほどに自己中心的でなく、あきれるほど無私無欲なのだ。そして従順でおとなしく、無気力なまでに母親の計略に黙従するのである。(中略)。ウエストハンプトンから届く、情熱的でいびつな告白付きのコーネル夫人の手紙を読むと、彼女が息子にどれほど固執していたか、なぜ彼の女性関係が妄想のなかに閉じ込められていたのかが理解できよう。(p.412) 結局、芸術を生み出すには自分か他者かその両方を傷つけないとならないのか、と暗澹とした気持ちになってしまう。コーネルの母親もまた、なにか歪な構造のなかに強制的に身を置かれていたことを感じさせる。
- 2025年5月29日ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピアデボラ・ソロモン,太田泰人,林寿美,近藤学まだ読んでるコーネルのアダルトチルドレン的な生育環境、つまりほぼ生涯を通じた母と弟へのケアを伴った生活は、結果として自身への極端な禁欲主義となり、さらに翻って他者への偏執的な感情と行為に転化された。被害と加害は切り離して考えるべきではない、少なくともそのようなパターンもある、ということを何度も考えさせられる終盤。残り3章ほど。
- 2025年5月28日発声と身体のレッスン鴻上尚史まだ読んでる代わりに読んでる「体の外側へ」という意識が高い人は、「どのようにできてないか?」を理解することができるのです。体の意識の低い人は、ただ、「できてない」と漠然と思うだけなのです。(p.206) 今朝は父親と恒例のキャッチボールをして、ピッチング練習もしたのでなおさらこの言及に意識が向く。ピッチングの場合、ボールの軌道も身体の延長線上に置き意識=イメージできるようになる必要がある。今日の直球は悪くなかった。
- 2025年5月24日発声と身体のレッスン鴻上尚史まだ読んでる代わりに読んでるよく分からず、なんとなくあいまいなイメージで理解して言葉を言わないでください。それは、クセになります。感情やイメージがあいまいなまま、一生懸命、セリフを言うことが当たり前になってしまうのです。(p.141) 発声にかぎらず、イメージ≒意味や意義の理解がおぼつかないまま反復練習をしてしまうことによる逆効果はよくある。おもしろいのは、指導されてる側のみならず指導してる側も「なんでやってるのかわからん」状態で他者にやらせてることがままあること。
- 2025年5月24日アナキズムアレックス・プリチャード,小田透ゲラをもらってます仕入れます日野は南平への長距離移動のおともに。そもそも国家ができる前から我々人類は生活を営んでおり、ゆえにあらゆるシステム仕組み価値観発明などなども国家という枠組みが存在する前からある、にもかかわらず我々はそれらを「国家という枠組みがないと作れないし維持・運用もできない」と思っている。明らかに、これは理屈に合わない。そのうえ「国家以前の時代は野蛮で貧困で惨めでうんぬん」と思いこんでいる。傲慢がすぎる。
- 2025年5月24日
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