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本屋lighthouse
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@books-lighthouse
千葉市幕張の新刊書店 平日14時-21時/土日祝12-19時(定休:毎週月火/第3水曜) 「こども読書ちょきん」やってます NO HATE🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ JR/京成幕張駅徒歩6分(近隣にコインパーキング複数あり) ここは関口個人の読書記録ですが、読んでいる本はだいたい店頭またはウェブストアにあります。在庫がない場合は取り寄せますので、気軽にご連絡ください٩( ᐛ )و
  • 2026年7月2日
    アウステルリッツ(新装版)
    アウステルリッツ(新装版)
    書店員オープンチャットで共有される転売屋からの横暴やクレームの数々に疲弊してしまう。しかし私のお店には昨日今日とほとんど人が来ていない。と書いた途端、私のライフがゼロになった。急に具合が悪くなる。そう、『急に具合が悪くなる』の感想文を書きたいのだけど、元気が出ない。少し奥の部屋で倒れて、景気づけに『アウステルリッツ』をひらく。 現行の法規にほんのちょっと違反しただけで、裁判で自己弁護の時間を九十秒与えられたあと死刑の判決を受け、そして法廷のすぐ脇の処刑室でただちに首をくくられることもあった。(p.168) 昨日、転売屋が書店に殺到したあとの、もはや「残骸」と言ってもよいような荒らされ具合の本棚が写真の形をして目の前に現れた。私はそれを「写真の形をしたもの」ととらえることでどうにかなにかを保ったのだけど、あの残骸は明確に、ひとがいかにして簡単に一線を踏み越えるのか、たとえば虐殺にいたるのかを示しているように思えた。昨日、書店に殺到したのは、そこを一歩出れば善良な人と称されてもおかしくない人たちだったはずだ。
  • 2026年7月1日
    アウステルリッツ(新装版)
    アウステルリッツ(新装版)
    認知症が進んでいる私の祖母にも、映画『急に具合が悪くなる』で言及されていた「点線の時間」が、あるいはそれに似たなにか別の時間が流れているはずで、しかし祖母が自らの過去を語り直すことはもうないのかもしれない、ないだろうな、と思いながら、アウステルリッツがはじめは点線のように、しかし徐々になだらかな線をなしていくように思い出すかれの過去をひたすら読んでいた。閉店。
  • 2026年7月1日
    アウステルリッツ(新装版)
    アウステルリッツ(新装版)
    ナツコミ特典にむらがる転売について急ピッチで記事を書き、投稿し、疲弊し、そのうえまったく来客の気配がなく、夕方。なんもやる気が起きず、本を読むことすら怠く、むりやりひらいて読み進めようとしたところ、 ジェラルドははてしなく長い授業時間をほとんど鳥類の分類についやしていたといって、それをこまごまと話して聞かせるのでした。分類のさい重視したのは鳥の飛行特性で、ジェラルドの言うには、とアウステルリッツは語った、この分類法をどんなふうに変えても、鳩はかならず上位にくる、それは速度と飛行距離の点においてばかりでなく、鳩が生き物の中でも傑出した方向感覚をもっているからだというのでした。(p.110) と1文目からあり、少し元気になる。ハト、すき。∈(゚◎゚)∋
  • 2026年6月30日
    急に具合が悪くなる
    急に具合が悪くなる
    マリー=ルーと真理が出会い、そのままお互いのこれまでを話し始め、しかし急に夜番に入ったりナースコールで呼ばれたりして話が途切れ、にもかかわらずお互いの話がまた続けられるあの夜が、どことなくアウステルリッツの語りを思い出させるものだった。というのは瑣末な感想で、本編ど真ん中の感想はあらためて書きたい。パンフレット読むのも楽しみ。
  • 2026年6月30日
    アウステルリッツ(新装版)
    アウステルリッツ(新装版)
    いま思い返すと、とアウステルリッツは語った、あのふたりは、自分たちの心の冷たさによってゆっくり死んでいったのかもしれないという気がします。グェンドリンがなんの病気に蝕まれていたかは知りません、おそらく本人も知らなかったでしょう。いずれにせよ、病気に対してなすすべのなかった彼女のただひとつの奇体な欲求は、安物のタルカムパウダーのような粉を日に何度となく、おそらく夜もだったと思いますが、全身にはたくことでした。(p.60) 状況はまったく違えど、思い出されたのは『薬屋のひとりごと』だった。今朝は『ダンシングイズワールド』のアニメを観てうれしくなり、その居心地のなかでイオンモールを練り歩き、いまはサンマルクで映画までの時間潰しをしている。
  • 2026年6月29日
    アウステルリッツ(新装版)
    アウステルリッツ(新装版)
    多和田葉子の次にこれに行き着くのは必然か。アウステルリッツが「私」に対して使う言語を英語に切り替えてからの態度の変化は、多和田が『白鶴亮翅』で描いていたオリオンという歯医者の造形に引き継がれている気がする。オリオンは英語で話すときは機嫌がよく見え、ドイツ語で話すときは機嫌が悪く見える、そういう描写がされていた記憶がある。
  • 2026年6月28日
    白鶴亮翅
    白鶴亮翅
    ずっとおもしろかった。びっくらこいちゃうね。 膝のお皿を守りたいという気持ちはいつもどこかにある。膝のお皿を割られてしまったら、生きる自信にもヒビが入ってしまうだろう。(p.238)
  • 2026年6月27日
    白鶴亮翅
    白鶴亮翅
    今月はずっと売上が低調で、この数日も天候不良で来客は振るわない。社会情勢もあきらかによろしくなく、脳内風景すら灰色になっている。しかしこの本はおもしろい。今日もおもしろすぎるが続いている。 「統計をどう使うかじゃないですか。シベリアに抑留されて死んだドイツ人の数ばかり強調する人がいたら、参考として、ナチスドイツと戦って死んだソ連人の数を出す。数字は対話の中で初めて意味を持つ。メッセージはただ一つ。頭を冷やせ、人を殺すな、ということです。ところであなたの親戚には戦死した人がいますか?」(p.134-135)
  • 2026年6月26日
    白鶴亮翅
    白鶴亮翅
    こまった。すべての文章がおもしろくて、どれひとつとして引用できない。
  • 2026年6月26日
    白鶴亮翅
    白鶴亮翅
    7月に出る文庫版を問屋に発注したところ、単行本が届いてしまった。つまり読みなさいという御神託。承りました。
  • 2026年6月24日
    戦争×書物
    戦争×書物
    核を保有する大国どうしが、相互確証破壊の確実性を認識しながら、敢えて戦争に踏み切ることなどありえない。また、サイバー戦争や精密誘導兵器といった戦争技術の進歩によって、民間人への被害は最小限に抑えられるはずだと。しかしこれもまた甘い読みであり、実際に起きた二一世紀の戦争は、正規軍の兵士よりも民間人のほうにはるかに大きな犠牲を生んでいるように見える。(p.537-538)
  • 2026年6月23日
    戦争×書物
    戦争×書物
    日記からは、自宅の玄関先まで迫り、あるいは屋根を突き破って入り込んでくる戦争に個々人がどう反応したのかがわかる。多くの人々は、防空壕で過ごす夜や急な避難に備えて階段の横に置いてある非常用袋のなかに、数冊の本をしのばせていた。ところが、あらゆる証拠は、ロンドン大空襲中に読書量が急激に減ったことを示している。爆撃が最も激化した時期には、完全に読書をやめた者もいた。あまりにも精神的なショックが大きく、あまりにも忙しすぎて、あるいは単に、彼らは張りつめた不安のなかでの待機や中断される睡眠、防空壕での不快な夜に疲れ果ててしまったのだ。(p.424-425)
  • 2026年6月21日
    戦争×書物
    戦争×書物
    ネラのマス・オブザべーション日記で最も注目すべきは、大量の言葉の海のなかに読書についての記録がほとんど見当たらない点だ。なぜ注目すべきなのかというと、戦争が勃発するまでネラは熱心な読書家だったからだ。(中略)。一九四二年に実施された戦時中の読書に関する大規模な世情調査では、四〇パーセントもの人が戦時中は読書量が減ったと答え、そのうちの多くが読書量はかなり減った、あるいは全く読まなかったと回答していた。(p.222-223) 第二次大戦中、兵士を筆頭に戦争に深くかかわる生活を送っていた者らにとって本は貴重かつ主要な娯楽となったが、いわゆる銃後の民として戦時下における「日常生活」を送っていた者らは本を読めなくなっていた。これは戦中に限った話ではないだろう。戦前から徐々に生じていく現象として捉えるのなら、このところの出版業界の苦境もこの流れのなかにあると考えても筋が通る。 ネラの日記“Nella Last's War”は1981年に刊行され、2006年に再販もされている。翻訳権が切れてたら自前刊行してしまおうかと思ったけど、まだ権利者がいるようなのでどこかの出版社で出してくれないだろうか。
  • 2026年6月21日
    戦争×書物
    戦争×書物
    「本は思想戦の武器である」というわかりやすいスローガン。書物が文明の代理人であり、理念を広める伝道者だったとすれば、出版社は軍需工場の経営者といったところだろう。(ともにp.195) 出版業界の苦境が相当なものになり、日本社会全体も戦争への道を進んでいる現在を鑑みると、出版業界の立て直しと政治権力への接近が接続してしまいつつあることの愚かしさもあらためて蘇ってくる。経産省主導のプロジェクトはいずれこのようなものになる。業界が元気になればその方法はなんでもいい、なんてことはありえない。
  • 2026年6月20日
    戦争×書物
    戦争×書物
    『重力と恩寵』は断片的な記述のかたまりなので読み方もそのようにするのがあっていると判断し、ぐわっと読んでみたい物理的大物(500ページ超)であるこちらに手をつけてみる。 主要テーマとは別のものかもしれないが、南北戦争時に北軍兵士のひとりが言ったとされる「我々の国家、我々の国民性が消滅するのなら、いっそ我々全員が死に絶えてしまったほうがいい。このまま生き延びて、共和制を試み失敗した者たちと指差され、後世まで物笑いの種となるのを見たくはない」(p.80)という心理状態が気になった。おそらくこの感覚は、いま「戦争になってもよい」とどんな形や強度であれ考えている人のなかにあるものなのではないだろうか。国家という、本来なら自分自身と同一化できやしない存在への同一化による虚しい安心感。そしてどうせ失敗してしまうのなら試行錯誤もしないほうがよい、という失敗への恐怖。 「世論の動向、さらにはその根底にある特定の国または社会集団の姿勢や前提は、長い時間をかけて構築されるもの」(p.82)である以上、2020年代の日本の空気がどのようにして構築されてきたのかを考える必要があるし、同時に、現在から見た「長い時間」ののちにある未来の社会の空気を作る要素のひとつである本、そして本屋の責任を考える。すぐには結果が出ない、出たとしても効果測定ができないものにこそ、時間をかけて向き合い続ける必要があるのだろう。
  • 2026年6月18日
    重力と恩寵
    重力と恩寵
    真理を愛するとは真空に堪えること、したがって死を受けいれることを意味する。真理は死の側にある。全霊を挙げて真理を愛するには剝奪を経験せねばならない。(p.30) ここのところ『鋼の錬金術師』のアニメをずっと観ていたからか、このあたりの言及が気になってしまう。
  • 2026年6月13日
    重力と恩寵
    重力と恩寵
    わからんものをわからんわからん思いながら読む贅沢さを味わう流れになったので、最近出たばかりの『シモーヌ・ヴェイユ思想入門』ではなく本人によるど真ん中の1冊に手を伸ばす。しかし完全にわからんのも困るので訳者あとがきから読む。わからんの気配がぷんぷん、つまり準備は万端。いくつのわからんがあらわれるのか、楽しみだね。
  • 2026年6月13日
    鼻行類(289)
    鼻行類(289)
    『はやにえ日記』『シロチドリ観察日記』とともに併読し、すべて読み終える。この数日ほとんど仕事をしていないが、本屋の仕事は本を読むことなのでむしろバリキャリだった。昇進はないが。『鼻行類』はともかく、日記2冊はまさにスロー・ルッキングの実践であり、ままならなさやわからなさと慎重に向き合うと同時に楽しむ日々が綴られていた。とても充実の併読祭、完! と書こうとアプリをひらいたらお客さんがレジに来た。『はやにえ日記』が購入された。
  • 2026年6月11日
    鼻行類(289)
    鼻行類(289)
    近々ひろこさんとともに南房総は白浜に行くのだけど、そこはシロチドリという鳥の繁殖地である根本海岸に近い、という情報をつたゐさんの日々の投稿から知っていて、せっかくだからそのつたゐさんの『砂浜の、すみっこで シロチドリ観察日記』を読もうと思い、となると同時に糸川乃衣『はやにえ日記』も読んでみたらどうだろうか、併読するならもう1冊併読したらどうなるんだろうか、2冊は鳥の観察記だから......と棚を物色していたらこれがいた。たぶんこれも鳥だ。哺乳類って書いてあるけど。
  • 2026年6月10日
    不正義とは何か
    不正義とは何か
    記録をつけていなかったが、ここのところずっとこれを読んでいた。すごい大事なことが書かれているのだけど、すごい難しい、ので私もまともに読めているのかどうか怪しいが、だれかシュクラーで新書を書いてくれないだろうか。もはや安直にすら思えるが、どう考えても「ケア」の文脈のなかにあるし、そのほかいろいろなテーマとも接続しうる話をしているように思える。正義がなにかを考えることよりも、不正義とはなにかを考えること。それはつまるところ、他者の話を聴くということだ。自分の話をすることは一度忘れて、静かに他者の話に耳を傾ける。あるいは、声として出てくることすらできない「なにか」に。
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