

本屋lighthouse
@books-lighthouse
千葉市幕張の新刊書店
平日14時-21時/土日祝12-19時(定休:毎週月火/第3水曜)
「こども読書ちょきん」やってます
NO HATE🏳️🌈🏳️⚧️
JR/京成幕張駅徒歩6分(近隣にコインパーキング複数あり)
ここは関口個人の読書記録ですが、読んでいる本はだいたい店頭またはウェブストアにあります。在庫がない場合は取り寄せますので、気軽にご連絡ください٩( ᐛ )و
- 2026年8月16日
犬のうんちとわかりあう三好愛本日も無事オープンここ数年めっきりと巡り会うことがなくなっていた道端の犬のうんちに、最近また出会えるようになっています。スマホ見ながら歩くより、うんち探しながら歩いたほうが面白いよね。本日も無事オープンしております。
- 2026年8月15日
信頼 (ちくま学芸文庫リ-13-1)アルフォンソ・リンギス,岩本正恵読んでるわからん祭ここに来てこれを見たとき、目はこれを見るために作られたのだ、ときみは思う。われわれの視覚は自分自身には向かわず、われわれの視線は自分の目を見ることは不可能であり、自分の身体もごく一部しか見られない。手近な道具や障害物だけを、所有できるものだけを見つめるとき、目は弱々しくなり、囚われる。距離の感覚は、離れたもののために、壮大なもののためにある。(p.47) 『知覚の宙吊り』だ!! - 2026年8月15日
信頼 (ちくま学芸文庫リ-13-1)アルフォンソ・リンギス,岩本正恵読み始めたなんかわからんが明白にこの本に呼ばれたので読んでいる。 アマドゥは頭のなかに地図がある、とイザーは言う。モーリタニアやリビアやニジェールへ行く道も刻まれている。ラクダの隊商は星を頼りに夜を旅する。天測航法だ。空が曇っているときは、トゥアレグ族はなんと砂の味をみて道を確かめるという。(p.22) 本を読むということは頭のなかに地図を記すことで、砂の味から自分のいまいる場所を判断できるようになるということだ、という直感がある。少なくとも、スマホで検索すればすぐになにかがわかり、生成AIがなんでもやってくれる世界においては。便利な道具ができたとか、その道具がどんどん便利になっていくだとか、そういうことではなくて、単純に人類が退化しているだけなのではないか。と思うことが増え続けている。 - 2026年8月15日
よりみち部落問題角岡伸彦本日の入荷と思い出した本SNSに浸る時間が長くなるほど本は読まれなくなるのではないか、つまり本の宣伝やら告知やらをSNSで頑張るほどむしろ本は我々から遠ざかっていくのではないか、その仮説の真実味があまりにも強すぎて困ってしまったが、ここReadsは本の情報しかないから大丈夫なのではないか、ならばこの仮説を証明していこう、ということで「本日の入荷と思い出した本」というタグをつけての初投稿。写真が入荷本、Readsに投稿されるのが思い出した本。 〈再入荷〉『ジグざぐ 水俣』『ジグざぐ ハンセン病』
- 2026年8月15日
中世ヨーロッパの魔術師タビサ・スタンモア,ダコスタ吉村花子,池上俊一読み終わった魔術は時に有用で善意あふれる力と見なされ、時には暗黒で有害と見なされたが、たいていはその中間に位置していた。だが視点がいかに変化しようと、一つだけ変わらなかったことがある。人々の生活において実践魔術が重要な役割を担い続けたことだ。(p.267) 巻末解説にあるように、本書が主に扱っているイギリスでは魔女狩りが比較的激しくなかった、という点は忘れずにおきたい。解説担当の池上俊一『魔女狩りのヨーロッパ史』(岩波新書)とともに読むべし。我々は魔術や信仰を必要とし、実際に利用してもいるが、なぜかそれらを忌避し弾圧する。中世近世だけではなく、現在も。 - 2026年8月14日
中世ヨーロッパの魔術師タビサ・スタンモア,ダコスタ吉村花子,池上俊一読んでる一般に復讐魔術は、自分は無力、あるいは限界寸前にあると感じる者、つまりほかに選択肢のない人々、訴えてもしかるべく対処されないのではないか、耳を傾けてもらえないのではないかと危ぶむ人々が頼る手段だ。(p.103-104) - 2026年8月13日
中世ヨーロッパの魔術師タビサ・スタンモア,ダコスタ吉村花子,池上俊一読み始めたお盆時期なのにずっと天候不順でお客さんが来ない、そしてものすごいアメーメ☔️とゴロゴーロ⚡️がやってきてしまったので、魔術師にどうにかしてもらうことにした。 - 2026年8月13日
知覚の宙吊り(986)ジョナサン・クレーリー,大木美智子,岡田温司,橋本梓,石谷治寛読み終わったわからん祭わからんの濁流に呑み込まれたまま読み終えた。感慨深い。いつかどこかで「あれはそういうことだったのか」となるのだろう。すばらしき人生! - 2026年8月12日
知覚の宙吊り(986)ジョナサン・クレーリー,大木美智子,岡田温司,橋本梓,石谷治寛読んでるわからん祭わからんの濁流のなかにかすかに見つかるわかるを求めて三千里。 自動運動の芸術が、ファシズム、機械化された戦争、あらゆるたぐいの国家的プロパガンダと時期を同じくしているのは、このレヴェルにおいてだったのである。(p.413) 完全に断片化させた読みで本筋とは異なる「わかる」なのだけど、自動運動の芸術=映画などが20世紀前半にもたらした影響は、21世紀前半の現在においてはSNSがもたらしているように思える。「おすすめ」が無限に流れてくるタイムラインから視線を切り離したりスクロールする指をとめたりすることは、すでに「受動的オートマティスムのモデル」(p.412)の主体にさせられた私たちには難しく、世界情勢もまた100年前と類似したものになっている。わかりたくないわかるだったな......。 - 2026年8月9日
知覚の宙吊り(986)ジョナサン・クレーリー,大木美智子,岡田温司,橋本梓,石谷治寛読んでるわからん祭孫引き。 強く集中された注意、受動的で鮮明な想像力という特異な条件において、これらの麻痺させられ熱狂した人々は、必ずや新しい環境の魔術的魅力に屈することになる。彼らは見ているものを何でも信じる。そして彼らのこの状態は長いあいだ継続する。ひとりで思考するのは、他人の精神を通して思考するより、つねにいっそう疲労するものである。そのうえ、人が、いかに活気に満ちた環境を生き、高度に張りつめて多様化した社会を生き、新鮮な視覚、新しい書物や音楽、つねに更新される会話をいつも提供されようとも、その反対に、彼は次第にあらゆる知的努力をやめるようになる。こうして彼の精神はますます愚かになり、同時にますます興奮させられて、私が述べているように、夢遊病者になるのである。(p.274-275) SNSと現代人の話すぎるが、これが書かれたのは1890年。ガブリエル・タルド『模倣の法則』。 - 2026年8月9日
知覚の宙吊り(986)ジョナサン・クレーリー,大木美智子,岡田温司,橋本梓,石谷治寛読んでるわからん祭日常的な視覚経験において、身体が連続的に存在しているのに、その人の視覚的な知覚から事実上自分の身体が消去されているということは、ほとんど意識されることはない。(p.255) もうずっとわからんまま読み続けているが、この部分は昨日の「蛸みこし」でまさに体感したことだから理解ができた。私は蛸みこしがうまく写るように構図をあれこれ考えたが、そうして撮られた写真に私の身体は腕のみがあらわれることになった。また、この蛸みこしは「みんながなにをしているか」を見ようとすると自分の手元がおろそかになり、自分の手元に集中するとみんなの動きに注意が向かなくなる、というまさに本書の言う「注意と散漫」を体感する代物でもあり、本に書かれていることはほとんどわからないのに、別の体験によって理解が生じる、しかもそこには時間差がある、という経験だ。これこそが読書だった。ファストで「わかる」がウケる=存在意義となるSNSでは生き残れない存在、スローで「わからない」の体現としての本=読書。それはこうして身体を動かすことによって始まる。始まったからといって「わかる」とは限らないのだが、それを楽しむことからしか本=読書の復興は始まらないだろう。
- 2026年8月9日
ホームページ仲西森奈仲西森奈『ホームページ』唐突な宣伝本屋lighthouse出版部なんかSNSで本の宣伝をすればするほど本は読まれなくなるのでは?という説、もはやおれのなかでは真理!みたいな考えが生まれてしまってからどうにもならなくなってしまったのだけど、Readsはその陥穽に落ちることなく本の話ができるのではないか、と思い希望を取り戻している。そして本書は、SNSウケのいいようなわかりやすい宣伝文句を拒否するものだし、実際まったく思い浮かばないし、だからこそ本、「本」だよこれはまさに!!となるからこそ、私はこれを作ることに関われてうれしいのだな、とか思いました。なんの話だ! - 2026年8月6日
知覚の宙吊り(986)ジョナサン・クレーリー,大木美智子,岡田温司,橋本梓,石谷治寛読んでるわからん祭「すなわち、芸術は表象に限定されるものではなく、「筋肉と諸感覚に対する暗示作用を行使する」ことによって、思考よりむしろ運動を伝達するものである、という主張である」(p.207)というのはつまり、フランツの曲を聴くと踊り出してしまうみたいなことかい⁉︎ Take me out! - 2026年8月5日
知覚の宙吊り(986)ジョナサン・クレーリー,大木美智子,岡田温司,橋本梓,石谷治寛読んでるわからん祭スーラの絵画作品『サーカスのパレード』を題材に論じられているところを読んでいるが、この作品がなんかすごそうだということのほかにはなんもわからず、わからんすぎて興奮している。 - 2026年8月3日
知覚の宙吊り(986)ジョナサン・クレーリー,大木美智子,岡田温司,橋本梓,石谷治寛読んでるわからん祭次に考察の対象となるのは、マックス・クリンガーの『手袋』の連作である。この作品で展開される物語的状況は、マネの絵画のそれとまったく同じものである。すなわちそこでは、余暇にまつわる環境のなかで、流行の装いをした男女が公の場であいまいなやりとりを交わし、自己を提示しているのである。(p.154) ただならぬ「えっち」を感じたのだが、だれか判定してほしい。難波氏の本を読んだだれか......。 - 2026年8月3日
無機的なもののセックス・アピール (イタリア現代思想2)マリオ・ペルニオーラ,岡田温司,蘆田裕史,鯖江秀樹別の本を読んでいて思い出した読んでいない - 2026年8月3日
- 2026年7月30日
知覚の宙吊り(986)ジョナサン・クレーリー,大木美智子,岡田温司,橋本梓,石谷治寛読んでるわからん祭あるものへの注意が深まると、それ以外のものへの意識は散漫になっていく、そしてあるものへの注意も続けることは難しく、容易に別のものへと移りゆくものである、といった感じのことが書かれているテキストを、半分寝ながら読んでいる私の意識=注意=集中もまた、散漫で不連続なものである、と言える、そういう話ですかクレーリーさん!? - 2026年7月28日
知覚の宙吊り(986)ジョナサン・クレーリー,大木美智子,岡田温司,橋本梓,石谷治寛読み始めた『スローメディア』の次に読むのはどう考えてもこれで、しかしその中身の難しさにひいひい言いながら、どうにか読み進めている。とにかく「注意」というものは不完全で、注意して見ているつもりのものでもその対象の「すべて」を「正確に」知覚することは不可能だし、そもそも「注意」を正確にあるひとつの対象に向け続けることも難しい、みたいなことがおそらく書かれている。という話を私はガストで、後ろの席ではだれかがパレスチナの話をしていて、目の前ではひろこさんが「ポテチ食べたくなってきた」とか言いながら勉強しているのを、本を読みながら知覚してしまっている。注意散漫。 - 2026年7月27日
スローメディアジェニファー・ラウシュ,伊藤明己読み終わったお店も個人もツイッターを使って発信するのをやめ、SNSのアカウントはお店のみ、個人アカウントはマストドーンでかつ鍵をかける、という状態になって数年が経つが、なにも困っていないしむしろ思考は研ぎ澄まされている。Readsアプリの登場によって本の読み方が変わった感覚もあり、それもまた私にとっては明るいものである。
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