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@nininice
2026年5月30日

サハラ幻想行
森本哲郎
読んでる
今のところ、全てのページで立ち止まり、情景に想いを巡らせ、著者の思念に追いつくために考え、その詩のように美しい一場面一場面に胸がいっぱいになっている。サハラ砂漠、哲学、宗教、人間、空、砂、椰子、蠍、驢馬、水、歴史、過去、太陽、風……
シルヴァンだけが仰向けにねて、星をみつめていた。
「大地にもメタンプシコーズがあるんですよ」と、彼は突然、ひとりごとのようにつぶやいた。
「メタンプシコーズだって?」と、私はききかえした。
「循環……ともちがうな……くり返しですよ。子どもが青年になり、壮年になり、老年になり、ふたたび子どもになり、というくり返しです。その原動力になるのは、水と風なんですね」
メタンプシコーズ…輪廻
シルヴァン…金髪のフランス人学生
シルヴァンの話によると、浸食作用の最終の目標は、土地をけずりとって、それを海面と同じにすることだという。こうして水と風が、不断に山をくずし、谷を埋め、凹みをならしてゆく。サハラはその輪廻を九百万平方キロにわたって実証しているのだ。
そうした違いを切り捨てて、どんな人間も、ヒトであることに変わりはないと考えたとき、つまりヒトという要素だけをぬき出すことに成功したとき、私たちは「人間」という概念を獲得したのである。
こうしたやりかたで、さまざまな要素が抽出されると、それらはつぎつぎに命名され、名づけられることによって観念になっていった。そして、ひとつの観念ができあがると、その観念との対比によって、べつの観念が生まれ、さらにそれらの観念の関係が調整されて……というぐあいに思考は発達し、言語が意思の表示とともに思考の道具になっていったにちがいない。思考の道具としての言語を生み出したのは、以上のような捨象、抽象、分割の作業だった。
生物はそれぞれの器のなかに、名状しがたい何物かを湛えながら生きている。ロバの器のなかには、何が入っているのであろうか。何千年という長い年月の間に沈殿した悲しみであろうか。あきらめであろうか。絶望であろうか。いや、ロバはそのような情念を持ちうるのだろうか。