
ジクロロ
@jirowcrew
2026年6月1日
ドストエフスキーの世界観
ニコライ・ベルジャーエフ,
斎藤栄治
読んでる
神は悪と苦難が存在するゆえにこそ存在する。
世界に悪があることは神の存在の証明である。もしも世界がもっぱら善であり純粋であるならば、神の必要もなく、世界はすでに神となっているであろう。神は、悪あるがゆえにある。すなわち、神は自由あるがゆえにある。そしてドストエフスキーは、神の存在を、自由によって、人間精神の自由によって証明する。人間精神の自由を否定する者は神をも否定するのである。その逆も然りだ。
(p.92)
良心とは、自己分裂の兆候。
悪の懐妊をいち早く察知しつつ、良心は
その際に善の側として手を差し伸べる。
カラマーゾフの兄弟で言えば、
イワンの良心のサポートとしてアリョーシャがいる。
その肉声に耳を閉ざしたイワンのもとに、悪魔が現れる。悪は善から分離することで本当の悪となる。
父親を「殺したい」ーー「期待する権利」を内に宿すイワンは、罪人となることをまぬかれる。
その内なる声を聞き取ったスメルジャコフが殺人を実行に移す。
父親を「殺してやる」と口にしていたミーチャは、罪人であることを受け入れる。殺人という行為ではなく、意志を持っていたという事実ーーそれを罪として受け入れる。ミーチャは良心の声を聞き入れる。
「期待する権利」、これもまた自由の肯定。
悪も含めて人間の業のすべてを赦す、
「すべてが許される」をも赦す、神の存在証明。
良心こそが、その最初の兆候であるということ。
ドストエフスキーは、まるで一人の人間の心の動きを、その働きごとに「兄弟」として表現しているよう。
兄弟は、同じ父親から生を授かっている。
その血のつながりは、流血により事切れる、
とは言い切らないのがドストエフスキーのすごいところ。
