
ぴー太
@ystit
2026年6月2日
大聖堂
レイモンド・カーヴァー,
村上春樹
読んでる
『ぼくが電話をかけている場所』を読んだ。
この「場所」とはアルコール依存症の療養所という特定の地点ではない。
世界との接続を失いかけた人間が、もう一度繋がろうとする状態そのものなのだと解釈した。
人が再び世界へ戻るための玄関口のような場所。
電話を「かけた」でも「かけようとしている」でもなく、現在進行形の「かけている」というタイトルが重要だと思う。
まだ玄関の中に籠もっているわけでもなく、完全に外へ出たわけでもない。ただドアノブに手をかけている状態。
JPの過去の話に登場する井戸と煙突は、ともに垂直のモチーフとして、井戸は下降、煙突は上昇のイメージを持つ。
一方で主人公が最後に選ぶのは電話であって、それは上にも下にも向かわず、誰かと水平に繋がろうとする行為として描かれているように感じた。
数十ページの短編でありながら、さまざまな解釈の可能性が広がっていく。カーヴァーの短編の魅力はまさにそこにあると感じる。
そんな僕も今日は雨で世界から閉ざされているような気怠げな気分だったが、本を読むことで世界との接続を保とうとしている。
それもまた「ぼくが電話をかけている場所」


