

ぴー太
@ystit
The World Is Yours.
- 2025年7月2日YABUNONAKA-ヤブノナカー金原ひとみ読み終わったまさに時代を切り取っているのかと思うけど、そんな時代に嫌気もさす。 そんな気持ちを抱くのも時代とともに死んでいく緩やかな自殺か。 でも死をただ否定するのではなく、そういう死のかたちも受け入れているようにも見える。 どの時代でも、それでも、今ここにいるということの重みが心に残る。 明日からはもう少し優しい物語を読もう。
- 2025年6月28日YABUNONAKA-ヤブノナカー金原ひとみ読んでるSmashing pumpkinsのSiamese dreams聴きながら金原ひとみを読むの、焦燥感と耽美さでふわふわして気だるい夏の夜の過ごし方の大正解◎ 湿度がすごい組み合わせだけど、クーラーがあるから大丈夫。
- 2025年6月21日
- 2025年6月21日午後の最後の芝生安西水丸,村上春樹ルドヴィコエイナウディのUnderwaterを聴きながら。あのゆっくりと波紋のように広がる音の粒と、「午後の最後の芝生」のどこか取り返しのつかないような青春の感触が、本当に静かに溶け合う。 どちらも「時間の手触り」を描いていて、読んでいるうちに、音と記憶の境界がだんだん曖昧になってくるような感覚になる。 読み終えたとき、少し胸が苦しくなって、でもそれでいいんだって思えるような夜になる。 言葉じゃ言い表せない何かを、そっと受けとめる時間。
- 2025年6月21日勝手に生きろ!チャールズ・ブコウスキー,都甲幸治読み終わった職を探してはすぐにクビになる、破天荒で自堕落なだけかと一見見えるけど、"何者でもない"自分に抗おうとしている切実さを感じて好感がもてる。 綺麗事は一切なく、ドラマもなく、ひたすら労働者目線からアメリカ社会の嘘を描いている。
- 2025年5月28日鍵のかかった部屋ポール・オースター,柴田元幸読み終わった新潮文庫信者だった当時はこのサイズ感が受け入れられず、未読だったが。。 ピータースティルマンの名前が出てきたときには驚嘆からか興奮からか腹立たしさからか、、ため息がでた。
- 2025年5月25日
- 2025年5月25日ガラスの街ポール・オースター,柴田元幸読み終わった好きな作家は?と聞かれて迷わず答えているのがポールオースターだけれども、どれも読んだのは10年前の学生の時分だったわけで、改めて全著作を読み直そうキャンペーン中。 思い返せば10年前、ほとんど海外文学なんて読んだことなかったのに、広大なジュンク堂のなかでたまたま手に取ったことで、自分にとっての文学に対する好みや向き合い方が決定づけられた。 そもそもあのときたまたまオースターに出会っていなかったら、今ごろ本なんて読んでいなかったかもしれないと思わせるぐらい影響を受けた大切な作家。
- 2025年5月20日動物農場ジョージ・オーウェル,開高健読み終わった頭の悪い動物さんたちは、異常さに気づかず声を上げることもなく、気がついたらファシズム化していく日常 「豚から人へ、人から豚へ、再び豚から人へと、視線を走らせた。しかし、もう、どっちがどっちか、全く見分けがつかなくなっていた」 ユーモアと皮肉に満ちた秀逸な物語。
- 2025年5月18日永遠の家エンリーケ・ビラ=マタス,木村榮一,野村竜仁読み終わった虚構だとわかっているのに虚構を信じ、それ以外に何も存在せず、それが虚構だとわかり、そうと知りながらなおもその虚構を信じること、それこそがこの上ない真実なのだ
- 2025年5月17日日曜日の人々高橋弘希読み終わった「私の周りで何人かが死を選んだけれど、死を覚悟している人なんて見たことがない」 気狂いピエロのラストを思い出した。 「俺は死にたくない!死んだらもう、チョコレートパフェが食べられなくなる!」 そんなものだよね。そうだったとしたら救われる。
- 2025年5月12日しんせかい山下澄人読み終わった宗教的コミューンを想像させる不穏さを感じながらも、掴みどころのない淡々とした文章で描写される世界はそんなこともなく。 青春の旅立ちとはこうもぬるっとしたものだなと思った。
- 2025年5月8日
- 2025年4月22日細野晴臣と彼らの時代門間雄介読んでる文化的なものから少し離れていたけど、はっぴいえんどや細野晴臣の音楽を聴きながら読んでいたら、読書と音楽に対しての興味が再燃🔥 はっぴいえんど解散からトロピカル3部作、そしてついにYMOの時代がやってくる。。
- 2025年4月6日
- 2025年4月5日
- 2025年4月2日死なれちゃったあとで前田隆弘読んでる情けない人生でした。と書き残して首を吊った友人 学生時代何度も一緒に夜を明かした友人たちも気がつけば立派な社会人になってて、気がつけば自分だけ取り残されている感覚。 そんな自分のそばにいてくれた人にも去られたときの、死にたいではなくて死ぬしかないという感覚。 所詮生き延びた側の人間の驕りなのかもしれないのだけれど、 それでもそれでも死ぬしかなかった者の孤独と絶望に、 死なれちゃった者のやるせなさに肺腑を抉られる。
- 2025年3月25日1122(7)渡辺ペコ読み終わった
- 2025年3月20日
- 2025年3月16日
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