
うゆ
@otameshi_830
2026年6月3日

ヴィヴァルディと私
ティツィアーノ・スカルパ,
中山エツコ
読み終わった
音楽にしろ宗教にしろ“わたし”を捨て去ることに躍起になるものだが、それは肉を持った具体性に満ち満ちた生を生きているものの特権であり傲慢ですらあるのかもしれない。それらを剥奪され抽象的存在として、“わたし”を“わたし”として認識する土台が確立されていない生もあるのだと。“わたし”を“わたし”として獲得しようと飢え彷徨う魂の遍歴を読む。延々と続く少女の独白、会ったこともない母への手紙、死との会話…その文体に慣れるのに少し時間がかかってしまった。思えば一人称の小説を読むのは久しぶりだったかもしれない。どうして慣れるのに時間がかかったか、少し辛くなってきて小休止を挟みながら読んだかというと、読んでいて視界の悪いものすごく狭いところに閉じ籠められている感じがしたからだ。改めて一人称小説の効果を知ることとなったがこの作品は多分意図してそれを強めているのだと思う。それこそチェチリアの置かれた状況であり彼女の心の在りようだから。読者はこの文体によってそれを追体験することができる。しんどいけど…。
女とは、生とは、死とは、誕生とは、音楽とは、言葉とは…様々な警句にも満ちてある種哲学書のようでもあった。音楽に携わる人、言葉や哲学に興味のある人にはそういう意味でもとても面白いと思う。
映画化にあわせてのタイトルらしいが当たり前だけど断然原題の方が良い。スターバト・マーテル。悲しみの聖母。
表紙も前の方が良いと思う。
この作品をどう映像化したのか…怖いもの見たさ半分ですが観てみたいなと思います!
【ラストに触れます】
祝福された音楽の呪いに痛みと歓びをもって囚われる人々の話にはなんども触れてきたが、逆パターンは初めてかも。
一瞬海に身を投げたのか?!と思ってしまったがこれは違うよね(^.^; 具体性を持った“わたし”として生きるために新天地へ向かう希望に拓かれた終わりよね。うん。どうやって生計を立てるのか知りませんが…
ヴィヴァルディが結構勝手なやつでそれがまた音楽家の業をみせてくれて良かった。
またしっかりと読み返したいです。






