きん "べつの言葉で" 2026年6月3日

きん
きん
@paraboots
2026年6月3日
べつの言葉で
べつの言葉で
ジュンパ・ラヒリ,
中嶋浩郎
ラヒリ初のイタリア語で書いた本。 12の随筆と小編小説二編からなるエッセイ本。 彼女の本をこれまで読んだことはなかったが、本作は彼女のルーツによるものであり、それが原動力となって紡ぎ出されたと書かれている。 彼女の両親はインド人で、アメリカに渡ったあともベンガル語を話す(もちろん英語を話せるようだが)ことを大事にしていた。そんな環境の中、彼女はアメリカで育ち英語を巧みに操る。外では英語、家ではベンガル語、見た目は南アジアの人だけれど生まれに英語圏のルーツをもたない何者でもなさがいつも自身の中に漂っていたとしている。 そんな彼女がイタリア語に出会う。 何者でもない彼女が、イタリア語という別の人格を形成する要素を手にする。 イタリアに運命を感じ移り住むことになる。 しかしここにきても、彼女は自分がイタリア人として認められないことへの歯痒さを感じる。 見た目は南アジアの人、でもベンガル地方で生まれたわけでもなく、かと言ってアメリカ人でもない、そしてその見た目から、居住するイタリアでは外国人として扱われてしまう。 読んでいると、彼女の境遇から来る差し迫った思いや、それを例えるメタファーに自然と引き込まれる。 複数の言語を持っている彼女だからこそ悩み考える。 言語を持つと言うこと自体が何を意味するのかを今まで考えもしなかったぼくの一面にも光を当ててくれる。 ぼくはいまだ何者でもなく、過去からずっと何者でもなかった自分の人生を、別の誰かになりたくてもがいていたあの頃のことを思い出す。 彼女は必死にずっと自分と対峙していて、そこに彼女の凄さや誠実さを感じる。 追記 あとがきに訳者の中嶋さんも書いているが、ラヒリの表現したかったイタリア語本としての拙さを感じ取るのは難しい。なぜなら日本語訳で読んでいる時点で、ぼくはそういう機会を既に失っていて、その時点でまた、言葉を持つということの意味を考えさせられる。 その難しさのようなものは、実際ぼくの周りにも既にあって。 たとえばそれは、ブロンドヘアのヨーロッパ系の外国人に対して、ドゥーユースピークイングリッシュ?と尋ねてしまうように。
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