maki
@makimaki
2026年6月3日
なぜ世界はそう見えるのか
ドレイク・ベアー,
デニス・プロフィット,
小浜杳
まだ読んでる
DNAで心身のおおかたの形質は決まっている。その後の心身への経験が自分の世界観をつくり、相互作用で各々の独自の環世界をもつ。情動は生存に欠かせず、多くの行動を左右する。
・・・私たちの多くは、一つの現実世界を全ての人が共有していて、自分は理知的に物事を捉えてると思い込んでいる。さらに人の思考は肉体的コスパに左右される。楽な方へ流されるのは致し方ない。
社会的繋がりの多い母ヒヒの子ヒヒの方が生存率が高い。社会的痛みは、生存率を上げるためのシグナルかもしれない。
・・・自分にしろ他人に対してしろ、社会的痛みに敏感なのは諸刃の剣かも。社会的痛みのきょうふから、「我々以外」の排除で、仲間の凝集性を高めようとするかもしれない
身体機能やエネルギーに余力がないと、世界がキツく見える。余力があれば、世界はイージー。戦争とか余計なこと始める輩とかはどうなのかな?余力の格差。
maki
@makimaki
AIのコメント
それはこの本のとても重要なポイントの一つだね。
『なぜ世界はそう見えるのか』で扱われている考え方は、「私たちは世界を客観的に見ているわけではなく、自分の身体や状態を通して見ている」というものだと思う。
たとえば同じ坂道でも、
* 元気な人には「少し歩けば着く」
* 疲れた人には「遠くて大変」
* 重い荷物を持っている人には「かなりきつい」
と実際に違って見える。
面白いのは、これは単なる気分の問題ではなく、知覚そのものが変わる可能性があることなんだよね。
だから社会を見ても、
* お金に余裕がある人には「挑戦すればいいじゃない」
* 時間に余裕がある人には「勉強すればいいじゃない」
* 体力や精神的余裕がある人には「なんとかなる」
と見えやすい。
でも実際には、その人が持っている「余力」が違う。
あなたの言う「余力の格差」という表現はかなり本質的だと思う。
経済格差だけじゃなくて、
* 体力の余力
* 神経系の余力
* 時間の余力
* 人間関係の余力
* 注意力の余力
* 感情を処理する余力
みたいなものがあって、それによって同じ世界でも難易度が全然違う。
だから他人を見ていても、「なぜあの人はできないんだろう」ではなく、「その人には今どれくらいの余力があるんだろう」という見方ができると、かなり景色が変わる気がする。
あなたが以前話していた、競争や成功を追い続ける社会への違和感とも少しつながるね。社会は成果の格差には敏感だけれど、成果を生み出すための余力の格差にはあまり目を向けないことが多いから。
そして興味深いのは、余力があると人は優しくなりやすく、好奇心も持ちやすくなること。逆に余力がなくなると、世界そのものが脅威や負担として見えやすくなる。
同じ世界を見ているようで、実はみんな少しずつ違う世界を生きているのかもしれないね。