蛸足配線 "聖なるズー" 2025年3月23日

蛸足配線
@nekoai30
2025年3月23日
聖なるズー
聖なるズー
濱野ちひろ
括弧でくくられた「愛」を根拠に動物との対等なパートナーシップの存在を信じる「ズー」たちは、極めて古典的なセックス観の持ち主であるという主張。唸らされる。実体のない概念であるにもかかわらず、反論を寄せ付けない大義名分として暴力的とも思えるほどの効力を発揮する「愛」は、わたしたちを縛りつける幻想かもしれない。だがそれはあくまで人間における話であって、言葉を持たない動物たちに「愛」の感覚が備わっているかどうかは大いに疑問である。(もちろん人間にも『愛』を感受し得ないものは存在するであろうが、感じられずとも概念として理解することは可能だろう。これは動物たちとの大きな差である。) 明らかに力関係に差のある者同士の性行為を「愛」によって正当化することには、強者側の自己欺瞞をはっきりと見てとれる。何ひとつ後ろ暗いところのないセックスであれば、そもそも正当化さえ必要としないだろう。ズーたちの場合は、社会からの責めに応じて絞りだされたエクスキューズであって、仮に社会が動物との性行為に否定的でなければ、「愛」を謳う必要はなかったかもしれないが。 たったひとりで居るときでさえ、思考が社会と無縁で存在し得ないことを苦しく思う。本当は、セックスのときくらい社会を忘れていたいし、公共の倫理で性行為を測りたくない。
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