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蛸足配線
@nekoai30
  • 2025年10月11日
    霊界の書
    霊界の書
    題名だけ見るとゲゲ何だこれはと思ってしまうが、開けば好奇心がふつふつと沸き立つ愉快な一冊。世界伝承便覧カラー版という感じ。国立民族学博物館に行きたくなる。本棚に入れておいたらすぐさまパートナーに見つかり不審がられた。
  • 2025年9月26日
    ハッチポッチ 藤枝リュウジの世界
    ハッチポッチ展はこの夏のうれしい思い出。会場では買わなかった図録が結局あとから欲しくなり書店で購入した。
  • 2025年9月17日
    タローマン・クロニクル
    タローマン・クロニクル
    未来を見たが好き。
  • 2025年9月17日
    タローマンなんだこれは入門
    タローマンなんだこれは入門
    劇場版タローマンが素晴らしかった。余韻に浸りながら読み返す。
  • 2025年9月16日
    天使は見えないから、描かない
    その自覚がなくとも、「たしなみ」としてパートナーを作る人は実際それなりに多いのではないだろうか。恋人や家族の有無が、社会では正常さや幸福を測る指標として機能しているから。まともで幸せな人として扱ってもらえるならそれに越したことはない。「べつにみんなが幸せになるために恋愛するわけじゃない」という台詞は、多くの恋愛は幸せになるためのものだという発想があってこそ成立する。そして幸不幸は抽象的な思考が生み出す概念で、肉体の快不快と完全に一致することはまずないだろう。特定の誰かに惹きつけられる現象は、おそらく睡眠や排泄のように体に備わったシステムが作用した結果であり、思考を通して測る幸福とは連動していない。そのズレが小さければ個人も社会もわりあい円滑に回るのだろうけど。 一般的な幸福のために思考主体で行う交際から得られる経験値は、たぶん恋の技量というより社交や交渉のためのスキル。交際人数や性的な場数が恋愛経験とイコールではないのはきっとそういうこと…。人付き合いの技術が無意味に堕す深みに足をとられてもがくような恋に落ちるには、おそらく巡り合わせと愚かさが不可欠で、大抵の人はそれを上手によけたり潜り抜けたりできる程度には幸運で賢明だ。主人公のように「情熱的な変人」にはなれない。
  • 2025年9月8日
    発光地帯
    発光地帯
    問題は「動けなくても動かないといけないとき」なのではなく「動けないけど動かないでいいとき」で、そうするともう、これまで一生懸命ごまかしごまかし積み上げてきた、おおげさに言えば生きることに必要なあらゆる理由がなくなってしまう、気がする、わたしたちがなんとなく、ここにいてもいいようなそんなゆるやかな言い訳めいたもろもろがさあっと霧散してしまう。沈めるうちは、大丈夫、沈むことのできる場所やものがあるうちは、それは賑やかでいいけれど、そういったものが総じてなくなるときも、あるので注意。(P152) 昼の暮らしでは決して口に出せない、無いものにされているかなしみの在りかを、せめて自分に向かってきちんと確かめるために、かろうじて毎日なにかを読んでいる。文字に向かっているときは息ができると感じる、でもそれはこなす仕事が常に目の前にあってこそなのかしら。本当はだれにも会わず戸を締めきってこんこんと眠りたい。主観的にはそう思っているのだけれど。
  • 2025年9月8日
    房思キの初恋の楽園
    房思キの初恋の楽園
  • 2025年9月3日
    ヒトはなぜ自殺するのか
    ヒトはなぜ自殺するのか
  • 2025年8月22日
    非線形な世界
    非線形な世界
  • 2025年8月22日
    心身論の挑戦
    心身論の挑戦
  • 2025年8月21日
    猫にGPSをつけてみた
  • 2025年8月11日
    天使の食べものを求めて
    天使の食べものを求めて
  • 2025年8月8日
  • 2025年8月8日
    夜露死苦現代詩
  • 2025年8月8日
    娼婦の本棚
    娼婦の本棚
  • 2025年8月8日
    ヒトはなぜ恋に落ちるのか
    ヒトはなぜ恋に落ちるのか
  • 2025年8月7日
    ウエハースの椅子
    こんなに綺麗な不倫は小説の中にしかないだろう。少し力をこめればすぐに崩れてしまうような、薄く甘い夢。
  • 2025年8月6日
    私小説
    私小説
    ほかの人間たちもみんな子どもが欲しいと思っている、を土台に生きている人なのだろう。Aやわたしのように、どうして当然のように子どもが欲しいという気持ちを備えている人がいるのか、分からない人間もいるのだと、もしかしたら耳にしたことはあるのかもしれないが、同じ職場で毎日顔を合わせて働く若く健康的な女性であるAが、そうであるとは想像しないのだ。(P86) どちらの気持ちもあるという状態はいくらでも想像できるのに、わたしは簡単に分断されてしまうし、共感に流されてどちらか一方へ流されてきた。(P96-97) 高瀬隼子『卵』を読んだ。目の前で息をしているのに、存在しないものとして扱われたことを思い出した。「多様性」という概念は随分と浸透したけれど、それはあくまでも公的な場におけるお作法・お行儀であって、私的な日常生活を処理するための感覚はそう簡単に変わるものではないらしい。私もおそらくそうして誰かを傷つけているのだろう。ひとつの心には白も黒もグレーも当たり前のように共棲しているのに、その内側を量るとき、量られるとき、表面的には矛盾が生じないようどこかを切り捨てざるを得ない。認識は常に棄却を伴う。
  • 2025年8月6日
    ゴンド・アート
    ゴンド・アート
    いろんなものに顔がある。目がいっぱいある。かわいい。異国の伝承に心は躍る。
  • 2025年8月6日
    いのちは輝く
    いのちは輝く
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