聖なるズー
32件の記録
スゥ@oneSue2025年12月18日読み終わった借りてきた続きが気になって、急足で読んでしまった。 「動物は裏切らない」 それはきっと、人間相手には得られない確信なのだろう。 著者の本を求めると同時に、著者自身の答えが研究の中で見つかることを願いたい。 読み返したいので文庫版と、新刊を購入すると思う。

スゥ@oneSue2025年12月18日読んでる借りてきたノンフィクションものを読んだのははじめてだけど、まず著者の取材の根気強さ、丁寧さに驚かされる。話題が話題なこともあり、長く時間をかけて取材されたことが伝わってくる。 本のテーマ上、性(特に行為)の話題が続くものとも思ったが、そうでもない。ひと時代前にならきいたことある「同性愛者が同性ってだけな相手を誰でも襲うって思うな」問題みたいなのと同じ文脈を感じる。改めて考えてみれば当たり前である。 自分は動物を飼育した経験もないため実感が湧かないが、ズーたちには動物たちのパーソナリティがわかるという。きっと対人愛者も相手のパーソナリティを好きになっていて、その点においては何愛者(と名前もつけられていないものでさえ)も一緒なのかもしれないな、などと考えた。

いっちー@icchii3172025年9月15日読んでる愛とセックスのかかわりについて。「いい関係においては、愛とセックスは一致する」というティナ。 「いい関係」っていうのが難しいな。一致する関係は幸福だとは思うけど、一致しないことをむしろ求める性志向もある。愛のことを頭のオーガズムと表現してるからなおさら、一致しない方がそれぞれと「いい関係」を築けると思ってる人もいるだろう。(ポリアモリーとか)。ただ、実践者の中でうまくいってる割合がどれくらいかは知らない。一致を求めるのは、人間(生き物)として普遍的なものなのかもしれない。
いっちー@icchii3172025年9月14日読んでる勝手に後輩位の想像をしていたけど、正常位もあるのか 犬が求めていれば、そしてその人が同意すれば、他の人のパートナーとセックスしても良いという姿勢は、犬を尊重してむしろ犬を優位に立たせている気がするけど、逆に、同種じゃないから許せてるのかな。


いっちー@icchii3172025年9月13日読んでるp76ねずみとはセックスできないでしょ、というところでズートピアを思い出した。 でも、ザシャはねずみとコミュニケーションが取れると思っている。異種への共感が高く、1個体ごとの違いを見てとっている。 p88しつけは必要、でもミヒャエルは動物的なコミュニケーションを取っている。だから名付けは必要ない、という考え方に目から鱗。名付けは人間の表現で、猫たちにはあまり意味がない。
いっちー@icchii3172025年9月13日読んでる去勢しているから「犬の方から誘われる」ということは日本では起きづらいのだと思っていたら、なんと去勢しててもホルモンバランスの変動で年に数回セックスを行うという例が出てきた。そして最初は動物性愛の団体にアンチだった人も、知識を得た結果今は性も含めてまるごと愛している、という話があってなんだか感慨深い。
睡眠時間@yomuyomu2222025年9月7日読み終わった人生で読んでよかったと思う本の上位に入るくらいすごくすごくよかった…。 研究者としての立場と、対人としての立場に揺れながら丁寧に書かれた作品。 カミングアウトとは、自分の究極的な問題を周りの人々に知らせることだ。カミングアウトされる側は、それまで「他人事」だった問題を、身近な当事者の「自分事」として突然提示される。その行為によって、その問題はどうでもよいものではなくなり、わかち合われるべきものになる。




いっちー@icchii3172025年8月26日気になる買う予定知り合いが読んでたので存在は知っていたけど、『母親になって後悔してる』の読書会が盛り上がって次もまたタブー視されている系の本読みたい、となり候補になった。- 蛸足配線@nekoai302025年3月23日かつて読んだ括弧でくくられた「愛」を根拠に動物との対等なパートナーシップの存在を信じる「ズー」たちは、極めて古典的なセックス観の持ち主であるという主張。唸らされる。実体のない概念であるにもかかわらず、反論を寄せ付けない大義名分として暴力的とも思えるほどの効力を発揮する「愛」は、わたしたちを縛りつける幻想かもしれない。だがそれはあくまで人間における話であって、言葉を持たない動物たちに「愛」の感覚が備わっているかどうかは大いに疑問である。(もちろん人間にも『愛』を感受し得ないものは存在するであろうが、感じられずとも概念として理解することは可能だろう。これは動物たちとの大きな差である。) 明らかに力関係に差のある者同士の性行為を「愛」によって正当化することには、強者側の自己欺瞞をはっきりと見てとれる。何ひとつ後ろ暗いところのないセックスであれば、そもそも正当化さえ必要としないだろう。ズーたちの場合は、社会からの責めに応じて絞りだされたエクスキューズであって、仮に社会が動物との性行為に否定的でなければ、「愛」を謳う必要はなかったかもしれないが。 たったひとりで居るときでさえ、思考が社会と無縁で存在し得ないことを苦しく思う。本当は、セックスのときくらい社会を忘れていたいし、公共の倫理で性行為を測りたくない。


やえしたみえ@mie_e01252020年10月25日買った読み終わった蔵書@ 自宅発刊当時ポリアモリー界隈で話題になっていたので読んだ記憶がある。興味深い内容だった。 ポリアモリー界隈では「聖なるポリアモリー」を外部から求められているように感じるよね、みたいな盛り上がり方をしていた気がする。 記憶が曖昧になってしまっているが、人は「聖なる」ものでありたいのだと、清らかで倫理的でありたいのだと、そう思った。 ズーフィリアという、性的逸脱に思われるそれの当事者が語る「愛」。異種族との愛を信じ、その愛ゆえに赦されると考え行動に移す者たち。動物たちから真に合意をとることは不可能だが(子どもを犯してはいけないのと同じだ)、家畜やペットを劣悪な環境で繁殖させ殺すことと、パートナーとして愛しセックスすること、どちらの方がより悪なのか?と問われると、大衆の肌感覚によって決まるよな、と思う。大衆の肌感覚に合わせられなかったものたちも、清らかでありたい、自分たちは清らかだと主張したい、人は自分が「正しく」ありたいという欲求を止められない。 ポリアモリー界隈で盛り上がったのはそういう理由だろう。ポリアモリーは、浮気でも不倫でもなく、関係者全員に合意をとった、倫理的で正しい、聖なる複数愛を目指す人々のライフスタイルだからだ。生まれたときから大衆の肌感覚に合わなかった私のような人間はもうこういう命題を考えるのに疲れてしまったが、そうでない人々や、まだ考えたい人が読むのには良い本だろう。誰しも同じ人間であるとわかる。文章も読みやすかった記憶がある。 Amazonで2020/10/25に購入していたらしい。読んだ日はわからないので購入日に読んだことにしておく。
過集中タイム@chinjang1900年1月1日ふと思い出した知り合いからリファレンスとして出された本で、めちゃくちゃ面白くて読みふけった、著者の新作でてるからタイミングで読みたい 急に思い出したのは完全に世界99を読みながらで、絶対に接続しないように頭から振り払った














