
たま子
@tama_co_co
2026年6月4日
ダロウェイ夫人
ヴァージニア・ウルフ,
丹治愛
読み始めた
読書日記
毎日日記
朝、じゅえさんから届いたDMで『舞踏会へ向かう3人の農夫』の文庫が再販されていることを知り、すぐさまポチる。本屋やネットをあちこち探してもなかなか出会えなかったパワーズのデビュー作。じゅえさんいつもありがとう。朝食に和紅茶と広島土産のカヌレを2つ。ビーツと、抹茶。食べながら、6月に入ったのでウルフの『ダロウェイ夫人』を読み直す。昨年の6月にReadsに興奮して感想を書いてからもう一年。はやい。読みながら、ルドウィコ・エイナウディのアルバム『The Summer Portraits』を流す。この本にぴったり。クラリッサは6月のロンドンを散歩しながら「なんという晴れやかさ!大気のなかへ飛びこんでいくこの気分!」とはつらつとしていて、でも次の瞬間には
ーp20
わたしはもう絶対、誰のことも、こんな人だとかあんな人だとか言わないつもり。自分のことだってとても若く感じたり、かと思うと、どうしようもなく老けて感じたりするのだから。ナイフのように物事のなかに切りこんでいくかと思うと、外からただ傍観していることもある。こうしてタクシーをながめていると、自分が外に、岸から遠く離れてひとりぼっちで沖にいるという、そんな感じに襲われる。一日だって生きていくのは、ほんとうに、とても危険なことだ、とわたしはいつも感じている。そんなことを感じる自分を賢いだとか、並はずれた人間だとか思っているわけではない。ダニエルス先生が教えてくれた知識の切れ端を頼りにして、どうにか人生を切り抜けてきただけだ。わたしはなにも知らない。外国語だって、歴史だって。ベッドで回想録を読む以外、いまではほとんど読書もしない。でもわたしはとても面白い、このすべてが、通り過ぎるタクシーの群れが。ピーターのことをあれこれ言うまい。自分のことも、わたしはこういう人間だなんて言うのは。(中略)誰にも思い出はある。だけどわたしが愛しているのは、目の前にあるこれ、ここ、いま。タクシーのなかの太ったご婦人だ。それなら、どうでもいいことではないか? ボンド・ストリートのほうに歩きながら彼女は自問した。自分がいつかかならず跡形もなく消え失せ、そのあともこのすべてがいままでどおりつづいていくとしても、どうでもいいことではないか? べつに腹立たしいことではない。死はすべての終わりにちがいないが、にもかかわらず自分もピーターもなにかのかたちでこういったロンドンの街並のなかに、諸物の干満に揺られながら、ここそこに生きつづけると信じられるならば、それはむしろ慰めになるのではないかしら?
と考えていて、意識をあっちこっちに飛ばしながら、浮き沈みしながら、移り変わる景色のなかを歩くクラリッサを読むのはとてもきもちがいい。『サンキュー、チャック』を観た後にぴー太と話したことを思い出したりする。「つまり今ってこと?」。満足してPC前へ。午前中、いくつかの修正を返す。昼、昨日の残りカレーをカレーリゾットにして食べながら(スープカレーアレンジ3日目)Page Turnersの最新回を観る。三宅さんの読了本が3ヶ月たまったときの迫力!夜、鶏ミンチ、パプリカ、茗荷、クラッシュピーナッツでエスニックそぼろごはん。おやつにアンドザフリットのバルサミコアンドペッパー味のポテチ5個、アイスコーヒー。寝る前にベッドで『嘔吐』読む。









