
ほどぼち
@hodobochi
2025年3月23日

燃えよ剣 下
司馬遼太郎
読み終わった
土方歳三は、ブレない。そのブレない姿勢が、とにかくカッコいいのだ。
幕末の動乱期である。多くの英雄と言われる者でさえ、ブレにブレる時代である。何が正解で、何が不正解か、世の中の誰もが分からない時代だ。
そんな時代にあって、土方歳三はブレない。政局がどうだろうと、時代がどうだろうと、歳三には関係ない。
「刀のうつくしさは、粛然として男子の鉄腸をひきしめる。目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである。新選組は節義にのみ生きるべきである」
どこまでも自分のなかの筋を通していく。筋を通すことの美学が、歳三にはある。
まわりからは「無学だ」とか「志がない」とか、見下される場面がある。けれども歳三には、学も志も必要ない。あるのは「美学」のみなのだ。
私はよくブレる笑。最近は「やりたいこと探し」「自己理解」という言葉を本屋でよく見かける。きっと多くの人がぶれていて、ブレない自分を目指しているんじゃないかな。
私も含め、そういう人にとって、歳三はどこまでもカッコいい。潔い。男を感じる。
本の終盤、歳三は次第に、人に優しくする一面がある。
これは本の序盤~中盤にかけては見られなかった歳三の一面である。おそらくだけど若いときは、そのブレない潔癖さを他人にも求めていたのだと思う。
けれども後年、歳三はそれを人には求めなくなった。その反面、自らの美学への追求は、どんどん高まりを見せていたように思える。きっと歳三にとって、他人はもう関係なくなっていたのだ。純粋なまでの想いを自分のなかで貫き通すことが、歳三にとって「生きる」ということだったのだと思う。
私は坂本龍馬が大好きである。どちらかといえば、土方歳三よりも、坂本龍馬みたいな人が、そばにはいてほしいなと思う。
それでも土方歳三はカッコいい。ブレない、という意味では、坂本龍馬よりもよほどブレない。
情報過多で、人の意見が気になりやすい、今日このごろである。そんな時代を生きる私にとって、土方歳三の生き様は、胸がぎゅっと締め付けられるくらいに、潔く、カッコいいのだ。


