糸太
@itota-tboyt5
2026年6月6日
ちぐはぐな身体(からだ)
鷲田清一
読み終わった
他人からどう見られたいか、それを表現する手段を、私はファッションだと思っていた。おそらく間違ってはいない。けれども、表現する対象である見られたい私というのは、よく考えればかなり曖昧なものである。
自分の身体は直接見えない部分がたくさんある。見えるところだけを頼りに、パッチワークのように繋ぎ合わせて全体をイメージするしかない。この自分でつくりあげた〈像〉こそ、我々が最初に着る服だと、鷲田さんは言う。
もしも服がなければ、自分が自分でいられない大変な事態である。まず自分があってそれを表現するのとは、真逆の捉え方になろう。でも人間がファッションへと突き動かされる情動を考えたとき、自分を確かめざるを得ないという逼迫した状況は、どこか近しく思えるのは確かだ。
日本では無印良品の登場以来、個性的とは異なる極を目指すトレンドが根強く続いている気がする。また、根っこは同じ気がするのだが、毎朝服を選ぶのに脳みそのカロリーを使いたくないから同じTシャツしか着ない、という考え方をポジティブに捉える声もよく聞く。
でも、どんな服を着た自分も、他者の他者としての想像でしか確かめることはできない。だとすれば、自分の身体とぴたりと一致させるような〈像〉を描き出すことは、不可能に近いのではないか。
何かが違うんだよな、という消化不良を抱えたまま、かと言って裸で過ごすわけにもいかないから、私たちは毎日服を着続けている。ファッションは、そんな私たちの乾いた心をあの手この手で絶えず潤し続けてくれているのかもしれない。
