
ゆい
@no1sin
2026年6月7日
物語ることの反撃
リフアト・アルアライール,
岡真理,
藤井光
買った
読み終わった
編者のリフアト・アルアライールは現代パレスチナを代表する詩人。ガザ・イスラーム大学で世界文学と文芸創作を教え、若い世代の抵抗手段として執筆の力を醸成することに力を尽くしたが、2023年、44歳の若さでイスラエルの空爆により殺されてしまった。ガザの代表的な知識人、学者、科学者は積極的に標的とされ殺害されている。
本書はリフアト・アルアライールとともに、彼の学生や指導を受けた人たちが英語で書いた(そしてリフアト本人も短編を三つ寄せた)短編小説アンソロジーである。英語力に優れた若い世代が、翻訳などの媒介や時間的な隔たりなく、直接英語圏に自らの言葉を届けられることには大きな意味があった。初版は2013年刊行。そして2023年の暗殺を受け、この『追悼版』が製作された。死の前の編者の活動や現在のガザの状況についても文章が追加されており、”今”わたしたちが暮らす世界を物語る本として読むことができる。
各小説の書き手を紹介する「作者たち」のセクションも充実しており、追悼版の発行にあたっては2024年現在の彼らの言葉が新たに寄せられている。しかしリフアトを除く14名の作家のうち6名とは連絡が取れず、彼らのパートには2013年版の文章がそのまま掲載されている。6名全員か、あるいはほとんどがガザで動けなくなっているか、最悪の場合は既に亡くなっているのではないかとのこと。パレスチナが置かれ続けるあまりに苛烈な状況が窺える。
物語の多くには市井の人々が直面する、想像も及ばないほど過酷な暮らしが綴られる。編者による序文にはこのように書かれている。
>短編の多くは、人の死や死んでいく人に満ちているという読者もいるかもしれない。その特徴は否定しようがない。人生のかなりの部分を、死を目の当たりにして生きてきた世代から、ほかに何を期待できるというのか。占領によって、パレスチナ人の大半にとって死は日常的に目にするものになってしまった。それでも、死という表面の下には、生きることへのこだわりや、生きようとする決意がある。これらの短編の行間には、生き延びようという思いがあるのだ。書くというまさにそのことが、よりよい人生を求める書き手たちの希望を伝えている。(P.36)
遠い戦争と日本にいる私たちを、あくまでの現代の若者の、手が届きそうに身近な生活の手触りが結びつける。
>「レポートをプリントアウトしておかなかったなんて、イスラエルのせいなのか自分のせいなのかわからない」と、ライラーは苦悩してぶつぶつ言った。「おじさんのせいにしようかな、発電機用の燃料を持ってくるのを忘れてたんだから!」彼女は歩調を速めて、部屋を行ったり来たりしつつ、不安にじわじわ襲われていた。「電力の供給スケジュールを信じて、こうなることを予測しておかなかったわたしがばかだった。二日連続で電気が通じてるのは、珍しく向こうが優しいからじゃないってわかってたはずなのに。イスラエルに高いつけを払わされるってわかってたはずなのに!」(P.110)
大学のレポートが印刷できない。理由さえ違えば隣の家でも発生していそうなトラブルから始まるこの短編のタイトルは「撃つときはちゃんと殺して」だ。比喩でも何でもなく、彼女はこの言葉を言わずにはおれない事態に見舞われる。
暴力の予感、暴力の爪痕、暴力の瞬間、直接的な暴力、間接的な暴力、非日常の暴力、日常の暴力。
同じくある意味身近な問題を描いた「ガザで歯が痛い」なども印象的だった。読みやすいという言葉は相応しくないかもしれないが、作品の中にはごく短いものも多く、若い人たちがその手にある言葉を使い、各々の痛切な祈りを携えて書いた文章は難解でなく読み進めやすい。
>本書に収録された個々の作品から、ガザの現実とそこで生きること──あるいは死ぬこと──を強いられているパレスチナ人の物語を汲み取ろうとするならば、若者たちの作品はまだ、文学作品として成熟の域に達してはいない。だが、本書の意義とは、その成り立ちから、二〇二四年版に追加された作者たち自身によるプロフィールの加筆まで含めて、それ自体がガザのパレスチナ人の根源的な抵抗の表現となっていることにある。本書は、パレスチナ人の物語を物語ることが、文学が、ペンが、ガザにおける文化的営為が、そして、若者たちにパレスチナ人のいまだ書かれざる物語を語るという使命を託すことが、「パレスチナ人などというものは存在しない」と言い放ったイスラエル第五代首相ゴルダ・メイールのことばを現実のものとすべく現在進行形で遂行されているジェノサイド、パレスチナ人という歴史的存在そのものを地上から抹消しようとするこのジェノサイドに対する、紛れもない抵抗であることを証言している。 二〇二四年春、二度にわたりガザに入り、現地の、強制収容所ということばでも足りない、もはや表現することばもない状況に接した在米のパレスチナ人英語作家のスーザン・アブルハワーは、今、ガザの人々の抵抗の力を称揚することもまた、彼らを非人間化することだと言う。こんな状況を耐えられる人間など誰もいないと言って。それからさらに半年が過ぎた。人間には耐えられない状況を彼らが依然、耐え忍んでいるのだとしたら、それを強いているのは、この紛れもないジェノサイドを止めることができないでいる私たちだ。それでもなお彼らは、ガザの中から、外から、ガザについて書き続けている。タンクの壁を叩き続けている。世界から必ずや応答があると危じて。(P.263)