はるか
@rlha_tinue
2026年6月8日
反出生主義入門
小島和男
読み終わった
私は物心ついた頃からずっとうっすら希死念慮に付き纏われながら暮らしている。
「消えたい」「死にたい」というような。
この先の人生でどれほど楽しいことが待っていようとそのために苦しみを享受しなければならないのであれば、楽しいことにそれほどの価値はないし、だから消えたい、そう思っていた。
ただ、いつかの日記に、「生まれてこなければよかった、と言うには私の人生には心から楽しいと思えた瞬間が決して多くはないが、あって、そうは言い切れない。」と書いていた。
この本を読んで「始める価値」と「続ける価値」を区別して認識できるようになったのは大きな収穫である。
たしかに私の人生は始める価値はなかった、これは揺るぎなくそう思っている。しかし、続ける価値がないかと問われたらそれに対して明確に結論づけることはできない。「わからない」のだ。
でもそれでいいのだと思えた。「わからない」と答えを保留にしておくうちは、少なくとも人生を続けてみようと思う。
希死念慮が付き纏っていたり、生きる意味についてクネクネと考えてしまったりする自分に辟易したりもするが、それはもしかしたら私が「良く生きたい」と強く願っているからなのかもしれない。
私なりの人生に対する真摯な対峙なのかも。
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反出生主義へのよくある否定的な反応として、「生まれてこないほうが良かった、なんていうなら、さっさと死ねばいいのでは?」というようなものが挙げられる。
それに対して筆者(というかベネター)は始める価値と続ける価値の区別を挙げる。
例えば、休日映画館に来たとして、観始めた映画があまりおもしろくなかったら「来なければよかったなあ」と思うかもしれない。しかし、だからといってすぐに映画館を出ていくとは限らないのではないだろうか。
映画の評価として「即刻観るのをやめるほど最悪」(続ける価値がないと判断する)と「わざわざ観に行く価値はなかった」(始める価値がなかったと判断する)というのはまったく別の基準で判断されるからだ。
ベネターの考え:
生まれてきてしまうと誰しも人生の中で、風邪を引いたり怪我をしたりしてしまう。それらは紛れもなく「避けたいこと」「嫌なこと」であり、苦痛でしかない。また、生まれたら必ず死ぬ。死ぬことに通常は恐怖を伴うし、多くの場合苦痛も伴う。そういった苦痛は、生まれれば確実に味わうことになるが、生まれさえしなければ、被ることはない。「それでも始めた方が良い人生なんてあるか?」
→ベネターは生を永遠の相のもとに判断する、究極の客観的判断が可能であるような前提で話しがちだが、実際には生に対しての価値の判定は難しく、客観的に決定できるものではないのではないだろうか
とはいえこのような反出生主義的なネガティヴなスタンスは、ときにポジティブなスタンスよりも優しく誠実である
「すべからく人生に始める価値はなかったのだ、楽しく生きているような人は勘違いをしているだけだ。苦しいかもしれないがあなたは正しい認識を持っている」と語ることがどれだけの慰めになるだろうか
「これから幸福になれる、頑張ろう」という方が無責任かつ残酷ではないか?
→筆者は「生まれてこないほうがよかったか?」という問いに対して「わからない」というスタンスをとる
有史以来わかった人などいない
それでも、「良く生きたい」と思うのであれば、自分の生に向き合うしかなく、自分の生を哲学するしかない
良く生きようとする人には最期まで「自分にとってどう思えるか」を考えていくということが要請される
そういった要請も、地獄の、人生の、人間の苦境の一つでしかないとしても。
その他のトピック:
・ベネターは「生きていくこと」よりも「子どもをこの世に生み出すこと」に反対しているっぽい
・反出生主義は「生まれてこないほうがよかった」と訳されがちだが、『Bettter Never to Have Been 』なので、「生まれてこないに越したことはない」的なニュアンスで、「始める価値」の話をしている
