
ジクロロ
@jirowcrew
2026年6月9日
内的体験
ジョルジュ・バタイユ,
江澤健一郎
読んでる
アリアドーネの糸が切れるときがある。私は虚しい興奮にほかならず、もはや自分が何者なのかも分からずに、飢えて寒けを感じながら渇ききっている。そのようなときに意志に頼るのは意味がない。重要なのは、持続可能な態度への嫌悪、私が語り、書くことができたこと、私を束縛できるものに対する嫌悪だ。つまり私は、自分の誠実さを無味乾燥だと感じている。私をかき乱す矛盾した意思には逃げ道がない。だからこそ、それらの意思は私を満足させてくれる。私は疑う。もはや自分に危裂、無力さ、無意味な動揺しか見出すことができない。自分が腐っていると感じていて、自分が触るものはどれも腐っている。
(p.78)
『蜘蛛の糸』を書いている芥川龍之介がなぜか思い浮かぶ。
「重要なのは、持続可能な態度への嫌悪、私が語り、書くことができたこと、私を束縛できるものに対する嫌悪だ。」
書いているとき、芥川はお釈迦様だった。
糸を切らしたのは、カンダタの我欲ではなく、
そういった人間臭さから距離を置き、
「安全地帯」から眺めながら書いていた
芥川自身の醒めた美意識だった。
「アリアドーネの糸が切れるとき」、
人間という帰り道を不意に見失ったとき。
触れるものすべてが黄金になるのは、
「どれも腐っている」のと変わりはない。

