内的体験

内的体験
内的体験
ジョルジュ・バタイユ
江澤健一郎
河出書房新社
2022年9月6日
18件の記録
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年6月11日
    私が人間の可能性の果てまで進んで最後の努力をするなら、隠れた臆病さのせいで途中で立ち止まった人々を、私は夜のなかに投げ捨てるのである。 (p.394) 「人間の可能性の果て」に何が待っているのか、おそらくわかっているはずなのに、そこに突っ込んでいくバタイユの狂気というか天才。 バタイユの前に読者は皆臆病であり、夜のなかに置き去りにされる。 かといってバタイユが光であるわけでもない。 このどうしようもなさに人間はただの形容詞。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年6月9日
    アリアドーネの糸が切れるときがある。私は虚しい興奮にほかならず、もはや自分が何者なのかも分からずに、飢えて寒けを感じながら渇ききっている。そのようなときに意志に頼るのは意味がない。重要なのは、持続可能な態度への嫌悪、私が語り、書くことができたこと、私を束縛できるものに対する嫌悪だ。つまり私は、自分の誠実さを無味乾燥だと感じている。私をかき乱す矛盾した意思には逃げ道がない。だからこそ、それらの意思は私を満足させてくれる。私は疑う。もはや自分に危裂、無力さ、無意味な動揺しか見出すことができない。自分が腐っていると感じていて、自分が触るものはどれも腐っている。 (p.78) 『蜘蛛の糸』を書いている芥川龍之介がなぜか思い浮かぶ。 「重要なのは、持続可能な態度への嫌悪、私が語り、書くことができたこと、私を束縛できるものに対する嫌悪だ。」 書いているとき、芥川はお釈迦様だった。 糸を切らしたのは、カンダタの我欲ではなく、 そういった人間臭さから距離を置き、 「安全地帯」から眺めながら書いていた 芥川自身の醒めた美意識だった。 「アリアドーネの糸が切れるとき」、 人間という帰り道を不意に見失ったとき。 触れるものすべてが黄金になるのは、 「どれも腐っている」のと変わりはない。
  • パンラビ
    @pan_rabi
    2026年3月7日
    学校の教室という空間が苦手だった。 みんなに馴染もうとした努力で辛かったわけではなかった。 『内的体験』の「神」の章を読んで、ゆっくり腑に落ちた。 「神について語るあらゆる可能性が人間から奪われるのは、人間が疲労していて、眠りと平安を渇望する限り、人間の思考において、神は、必然的に人間に適合したものになるからである。」 あの密度の高さ、ヒエラルキー、みんなが枠組みの中で必死になる光景。 とくに中学の教室では、それが空気のように当たり前になっていた。 あの空間全体が、「人間に適合した神」のような秩序だったのかもしれない。 息詰まりの正体が、ようやく言葉になった気がする。
  • 敗荷
    敗荷
    @sibue_fjodor_
    2026年2月26日
  • 寝待月
    寝待月
    @lesoleil
    2026年2月11日
    また読むので感想はそのときに。
  • 白木蓮
    白木蓮
    @a
    2025年11月9日
  • いち
    @ichi
    2025年11月9日
  • mkt
    mkt
    @mkthnsk
    2025年4月28日
    読めてない。バタイユさんの頭の中についていけてない。理解しようとしちゃダメなやつかなーと思って読み進めてるけど、挫折しそうー
  • バタイユには何度か挑んでは挫折している。恩師に勧められ早2年。今度は少しでも読み進められたらいい。
  • mkt
    mkt
    @mkthnsk
    2025年4月23日
    久々本屋を覗いたらあったから買ってしまった。
  • おたま
    おたま
    @oh_tama
    2025年4月10日
  • mkt
    mkt
    @mkthnsk
    2025年4月7日
    ツイッタから 本屋には無かった
  • O
    O
    @46_96
    2025年4月3日
  • 悠月
    悠月
    @yzkotm38
    2025年4月3日
  • 現在読み途中。比喩的な表現が多く中々難しい。中学生にプレゼントしたら、黒歴史を大量に作らせる事が可能な一冊だと思う。
  • わっち
    わっち
    @wacchi
    2025年3月6日
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