伍エ捫 "こころ" 2026年7月11日

伍エ捫
伍エ捫
@Goemon_VS
2026年7月11日
こころ
こころ
夏目漱石
「海の中が銭湯の用に黒い頭でごちゃごちゃしている」という例えに時代を感じた。 海中で初めて先生から話し掛けた時のセリフが不明なの、想像の余地があって良かった。なんと声を掛けたんだろう。 胸の裡に秘密を仕舞い込んでバリアを張っている先生と、親愛からくる好奇心に突き動かされて先生の懐に入ろうとする書生の、心の測り合いに惹き込まれた。基本的には穏やかだけれど、時折均衡が崩れやしないかと少しヒヤヒヤした。 「御馳走を詰めた胃袋にくつろぎを与える」など優しい描写が所々にあり、キャラクターや時間が丁寧に描かれていて、前半は文章に感動し通しだった。 さらに、「蝉の声が急にやかましく耳の底を掻き乱した」など、丁寧でいて細やかだから、情景がすごく鮮明に浮かび上がった。その時代に生きていなくとも没入できた。 特に、「父の意識には暗い所と明るい所と出来て、その明るい所だけが、闇を縫う白い糸のように、ある距離を置いて連続するように見えた」という例えに感動した。表現が巧みで、パッとイメージすることができた。 後半の書生に宛てた先生の遺書には、一節一節に書き手の思いが強くこもっていて、ひたすら圧倒された。解説でも触れられていた通り、これは先生というキャラクターに、夏目漱石さんが自らの思想や苦悩を託しているのだと思う。 仕事の休憩の合間などに読んでいたけど、後半は続きが気になって、つい余分に頁を捲ることが何度もあった。 御嬢さんに恋心を抱くKに対する先生の一打は衝撃的だった。 「御嬢さんは自分こそ好いている」とか「御嬢さんは自分と婚約している」とか、嘘をついて恋心を折りにかかるのかと思いきや、まさかKが自分自身に課していた在り方を取り上げて「今のお前はそれに反している」と告げるなんて、最も痛い所を突いている。 先生自身が、Kと御嬢さんが関わるきっかけを作り、Kが恋心を抱く道筋を作ったというのに、あとになってその道から外れるように仕向けるのはとても残酷だと感じた。 ただ苦しみ抜いた末に命を絶ち、妻と永遠に別れる結果になれば、Kの下した決断が無意味になってしまう。自分の死に理由を持たせなければ、Kへの申し訳が立たない。 先生の死に際の行動には、Kの決断を結果的に無意味なものにしてしまうことをなんとか正当化したい、という逼迫した思いが含まれているのではないかと感じた。 先生の言葉から気付きを得る機会は多くあったけれど、中でも「冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています」という言葉が心に残っている。 評論家からどれほど高く評価されるよりも、1人のファンから「好きです」と心から告げられた方が、深く胸に沁みることってあると思う。 とにかく素敵な文章だった。 新潮文庫さんの『こころ』のプレミアムカバーが毎回必ず白色なのは、潔白でありたいという人間の心持ちを表現しているのかな。
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