
みゆこ.~.
@miUiko
2026年6月7日
白鳥とコウモリ
東野圭吾
読み終わった
出来上がっていくジグソーパズルを見ている感覚になった。まず全てのパズルのピースを並べて、コアになるピースを少し整理してから、端からカチ、カチとはめ込んでいく感じ。
最後、全ての真実が明らかにされた時、動悸がした。実際、後半を読み進めていく中で真実に辿り着かないほうが良いのでは、と思った。だが、終盤頬を叩かれたような感覚を抱いた。
一度ボタンを違えたことによって生じた歪みが複数の人間の人生を狂わせ、その因果が返ってきたという展開により、時に美談として扱われがちな「情」の扱い方と、都合が悪いからという理由で蔑ろにされがちな「真実」に向き合うことへ、自身の強い意識が向くのを感じた。
また、人殺しの血を継承してしまって良いのだろうか、と口にする相手に伝えた、
「先祖を辿れば人殺しの一人や二人はいると思います。昔は戦争だってあったわけだし」という台詞も印象的だった。
意識したことはなかった。今も世界のどこかで戦争が行われている。世代を超えて受け継がれる「復讐」の種は、今こうしている間にも撒き散らされ続けている。罪と罰の問題ってどこまで継承されるべきものなのだろう、と考えさせられた。
野次馬の加害者家族に対する嫌がらせ行為も、十分に「罪」に値するのではないか、とも思った。小説内では、その影響で、歪んでしまった人生があった。それは、作品内で加害者側にとっての「罰」としても描かれていたけれど、公にされている情報が正しいとは限らないし、ほんの一部な以上、無関係な人たちからの糾弾は本来「罰」として許容されるべきものではない。(けれど、この「糾弾」は人類の歴史上、SNSが普及する前からずーっと存在している事象であることも重々承知している)
さらに、与えられた情報から勝手に殺人犯へ同情する声などという見当違いな社会の声の描写もあったが、この話の中で言えば「更なる殺人の助長」になり得ることであることからも、誹謗中傷含め野次馬の行動はある種「殺人への加担」にもなりうると言っていい。
表題が最後のピースだった。白と黒で、「と」が灰色なのもいい。正義と悪が表裏一体なことはよく描かれるテーマだが、この小説で描かれる事件のように、被害も加害も、実際のところ白黒はっきりしているとは言いきれない部分もあるよなぁと考えるなどした。(もちろんどんな理由であれ殺人は許されるべきではないが)