
ジクロロ
@jirowcrew
2026年6月13日
プロパガンダ入門
ネイサン・クリック,
渡会圭子
読んでる
ジャーナリストで批評家のウォルター・リップマンの造語である疑似環境は、私たちが直接経験する世界の外側にある像であり、シンボルを通して生み出されるものだが、人々の行動を左右して実生活に影響を与える。これは私たちの行動をとりまく、直接的、物理的状況を表わす環境とは対照的だ。だが疑似環境は、単なる架空の世界とは異なる。”“疑似”とは、現実の模倣や代替として人工的につくられたものを意味する。
……
ある人が「これは現実世界の像だ」と判断したとき、その人は自分の好む疑似環境を選んでいることになる。
(p.88-89)
「ジャーナリストで批評家」、現実を素材とするその肩書きの人が「疑似環境」という現実ではないものを描写し、その影響力を訴えているところが面白い。
もう一度リップマンの『世論』を読み直そうという気になる。
「ある人が「これは現実世界の像だ」と判断したとき、その人は自分の好む疑似環境を選んでいることになる。」
この「ある人」に、「ジャーナリストで批評家」であるリップマンも含まれている、ということを考えると、結局のところ、創造主になれるのは自分だけではないかという皮肉にも励ましにも取れる気づきが芽生えてくる。
「一回性と耐久性が、絵画や彫却において密接に緒まり合っているとすれば、(映画の)複製においては、一時性と反復性が同様に絡まり合っている。対象からその蔽いを剥ぎ取り、アウラを崩解させるととは、「世界における平等への感覚」を大いに発達させた現代の知覚の特徴であって、この知覚は複製を手段として、一回限りのものからも平等のものを奪い取るのだ。このようにして視覚の領域で起こってきていることは、理論の領域で統計の意義がしだいに顕著になってきていることに、ひとしい。大衆にリアリティーを適合させ、リアリティーに大衆を適合させてゆく過程は、思考にとっても視覚にとっても、限りなく重要な意味をもっている。」
(『複製技術時代の芸術作品』 ベンヤミン)
「プロパガンダ」も「疑似環境」も「複製技術時代」も同じような現象を表現しているように思う。それら3つの重なるところが、現実のもっともらしい輪郭をかたちづくる。
「これは現実世界の像だ」ーー疑似環境とは、外側からやってくる。それらは被造物として、すでに現れている。
しかし「疑似環境」「複製技術時代」という名は、内側から湧いてくる。現実を捉えるその人の眼差しから生まれてきた視座。
名付けられた瞬間が創造物であり、名付けられた後は被造物であるという、すべての「モノ」のもつ儚さと偉大さを思う。


