
はな
@hana-hitsuji05
2026年6月13日
会話の0.2秒を言語学する
水野太貴
読み終わった
図書館本
図書館で借りた
読み進めるほどに面白くなっていくのが面白かった。
著者が人文学の価値を信じている理由は「自分と出会い直せる」という魅力があるから。
最近、ずっと気になる本や目が合った本を片っ端から読んでいる時、何か共通点を感じていた。本を読むと自分がまだ上手く言葉に出来ない気持ちや視点について潔く表現されていることがあって、自分はずっとこんな風に言いたかったんだなと気づくことが多い。
それと同時に自分の中の当たり前、無意識の行為が多数というだけで常識扱いしていたりされたりしていることにアレ?と気づく瞬間がすごく面白い。もっと自分のこれまでの世界が狭かったことに気づきたい。
国や文化によって、どころではなく、東北と九州でも当たり前が違うし、受け取り方が違うとは。「ありがとう」を言わず「助かった」「よかった〜」で感謝を伝えたことにするの、驚くことかな?ハイコンテクストを国民性と言うのなら、それが感謝のニュアンスだということは察しがつきそうとも思う。
「え〜っと」「うーん」」「〜よ」「〜ね」にフィラーと名前がついているのも、著者の本を読み始めるまで知らなかった。
ちなみに私なら、何度も同じ言葉を繰り返す人を苦手に感じる。たとえそれが「ありがとうございます」「お疲れ様です」という一般的には繰り返すことで丁寧?みたいな雰囲気の言葉であっても。理解しましたという意味の「はい」も、そう。
たった一度心を込めて言えば伝わるのに、相手の動きを何度も止めてまで目を向けさせてしまうし、繰り返し言うほど軽薄になっていくような気がしていた。
「はい」と「はいはい、はいはい」では後者にイラつく感じ。
でも住んでいた地域や人生経験によってもそれぞれの大前提が違うということを思い出しながら会話したら、私の会話の0.2秒は更に同時に色んなことを判断しながら最初の一言を発するのだろうな。
「得意なこと」って、次から次に人から頼まれてもやり続けられるし、逆に誰からも期待されずほっとかれても好きで出来ることという感覚がある。
これまでヒトに感じよく朗らかに社交的にコミュニケーションを取るのは自分の得意なことだと思っていたけど、多数のニーズに応えようと普通を演じていただけかも。
本当は「普通」なんてイデアみたいなもので、みんないびつなままで「アレが普通や!」と頑張って合わせにいって演じている者の集団でしかないのかも。
終章とあとがきを読んで、積読している「普通という異常」を読みたくなってきた。
子どもの頃おもちゃを欲しがると、渋った末に最終的には却下されていたけど、ほしい本はサッと買ってくれてたなと思い出す。
いびつな両親から生まれたモンスターは、こうして生きることや人間と関わることに本当に疲れているけれど、それでも本が傍にいることは与えてもらったなと思う。









