
𓇌𓅱𓇌
@dccxxiv___
2026年6月14日
後巷説百物語
京極夏彦
読み終わった
再読
(柳女/北品川宿 一段落した後のこと)
赤えいの魚/男鹿
(帷子辻/京洛の西 ひと月京都で過ごし、半月一文字屋の食客となり後)
天火/摂津国
(天火騒ぎの後、一月ばかり滞在)
山男/遠州
手負蛇/池袋村
(死神或は7人みさき/北林領内 三年ばかり後)
五位の光/信州(山百介が関わった最後の仕掛け)
※南方衆 【狂骨の夢】
※由良胤房【陰摩羅鬼の疵】
※由良公房(三、四歳) 【陰摩羅鬼の疵】
五位の光/信濃(二十年後 八咫烏と青鷺)
※由良公房(二十三、四歳)【陰摩羅鬼の疵】
(語り手現在)
※由良公篤(二十四歳) 【陰摩羅鬼の疵】
※由良公胤(三歳になる公房卿第五子を養子に) 【陰摩羅鬼の疵】
※山形(公篤と同門の士族・孝悌塾番頭) 【陰摩羅鬼の疵】
風の光/赤坂料亭
※和田智稔【鉄鼠の檻】
※由良公房【陰摩羅鬼の疵】 【百鬼夜行・陽】
※由良公篤(二十四歳) 【陰摩羅鬼の疵】 【百鬼夜行・陽】
※三遊亭圓朝(実在)【書楼弔堂 破暁】
※笹村与次郎【鵼の碑】
※小夜【鵼の碑】
※ 歴史上の「明治維新(1868年)」から10年後は、
1878年(明治11年)にあたる。
p.634
「老いますとね」
一白翁は皺面を上げて謡うように語った。
「昨日の数が多くなります。明日が来れば今日が昨日になりましょう。明後日が来れば明日も昨日になりましょう。明明後日になると、もう今日も明日も、皆同じになってしまいますよ。
同じ理屈で、何十年も生きますとね、昔というのは皆等価になる。遠い昔の記憶も昨日の記憶も、同じところに並ぶようになるのですなあ。ですからね、より鮮烈で、より瑞瑞しい記憶の方が、目に付く。そうした思い出が胸の内に浮かぶようになる。それで、ああ自分は生きていたんだなと思うようになるので御座いますよ」
p.695
たぶん。
---昔というものは。
良い昔も悪い昔も、どんな昔も、愛おしく思えるものなのだ。それはきっと、己の肚だか胸だか頭だか、その裡だけにあるものだからに違いない。思い出される昔は全部、お話である。
物語になった現実こそが昔なのである。
p.695
昔の音。昔の匂い。昔の景色。そうしたものが、薄っぺらくなって何処かにくっ付いている与次郎の昔に染みて、その刹那物語を作るのだろう。それらは真実は今の音だし今の匂いだし今の景色なのであるから、生み出されるのは悉皆、嘘の物語なのだけれど。
想起される昔というのは、きっと全部嘘なのだ。何やらを見聞きして懐かしいと思うのは勘違いである。それでも。
---だからこそ、か。
