
yomitaos
@chsy7188
2026年6月14日
ファイア・ドーム(上)
辻村深月
読み終わった
@ 自宅
今という時代が、人の「参加したい」という欲求を叶えるのに適していることは、大抵の人が理解していると思う。テクノロジーが後押しすることで、私たちはコンテンツ制作に簡単に関われるようになった。webメディアにおけるコメント欄もそうだし、共創型を謳うビジネスも多い。何よりSNSの存在が大きい。
手軽に参加できるようになって、社会は良くなっただろうか。なぜ人が何かに参加したいのかというと、そこには承認が強く関わってくると思う。自分が知る人や、住んでいる場所に関わる事件があると、自分はそれについて語れる気がしてくる。意味があるかはどうでもいい。自分には参加する権利があるから。発言した内容が人を傷つけるか、波紋を呼ぶかなんてどうでもいい。解釈は自由だ。
そこに悪意はない。むしろ善意かもしれない。だが、火のないところにわざわざ立てた火が、あっという間に山火事になってしまうことがある。対象となった人や地域にとっては大変だが、対岸の火事に大抵の人は興味を持たない。
隔離されたエリアに雪を降らせる美しいスノードームのようなとある地域を、火の粉が舞い散るファイアドームに変える。きっかけは、噂。参加したいという人たちの薄い欲望から生まれた噂が地獄を生む。
噂は太古のメディアだ。当たり前だが、インターネットがない時代から存在する。メディアが本当のことを報道しないなんていう嘆きも昔からあって、そんな時代にも人口を介して真実を求める噂は広がっていた。
この物語に出てくる複数の事件は、インターネット以前・以後の両方がある。しかし、参加したいという人の欲望から生まれた噂の広がりが真実を覆い隠してしまう様は同じだ。欲望を喚起し加速させるインターネットがあろうとなかろうと、「噂が真実を歪める」という事実は変わらない。
語り手として幾人もの人が出てくるが、誰もがみんな歪められた噂に抵抗し、闘い抜いていく様に心を動かされる。必ずしも打ち勝つのではなく、折り合いをつけられる程度で止まる人もいる。カタルシスはあまりない。でも、それが実際のところなんだろうとも思う。人は急に変わらない。変わらない社会で生きるのは息苦しいが、それでも前を向いて歩く語り手たちの姿は眩い。
最後に、もはや信用できないメディアの代表格となった小学館から、この本が出版されているのも興味深い(文芸誌の連載であることは理解している)。別に担当を責めるつもりはないが、社会的意義のある強度ある物語を出すなら、それに相応しい会社であろうという矜持があってほしい。小学館が猛省しないのなら、この本の価値が下がる。今年一番おもしろいと思ったこの本に最大の栄誉を与えてほしいからこそ、小学館は生まれ変わってもらいたい。



