綾鷹 "ジョゼと虎と魚たち" 2026年6月15日

綾鷹
綾鷹
@ayataka
2026年6月15日
ジョゼと虎と魚たち
車椅子がないと動けない人形のようなジョゼと、管理人の恒夫。どこかあやうく、不思議にエロティックな関係を描く表題作のほか、さまざまな愛と別れを描いた短篇八篇。 ジョゼだけは毛色が違うように感じたが、それ以外の短編は経済的に自立した女性の恋愛の話。どの主人公も美しく逞しく強か。 どの話もエロティックで、読んでいて少し悪いことをしているときのような、なんとも言えない幸福感に包まれる。 特に「恋の棺」「ジョゼと虎と魚たち」「雪の降るまで」が好きだった。 ◾️恋の棺 ・有二のあたまの中には、大小の花火がつづけざまに爆ぜているにちがいない。たぶん、エゴン・ミューラーも、シャルツホーフベルガーも何も分らないにちがいない。宇禰は冷えたワインをゆっくりふくみ、リンゴのようなすずやかな風味をたのしむ。有二はワインより魚より、このあと、星のこぼれるベッドのことばかり考えているにちがいない。 それは宇禰もそうである。 そのたのしみがあるから、うすい職のある顔に美しい花やぎが浮んでいる。しかしそれでいて、その一方で宇欄は考えずにはいられないのだ。 こんなに好もしい、嬉しい機会は、これきり、これ一度でなくてはならない。 くりかえす気はないから底しれぬ愉悦となるのだ。 「われら、山頂の黒き土にBなる穴をうがち、人知れず恋の櫛を埋めむ」という詩があったっけ、西條八十だったかしら。ーと宇酵は思う。 「語りえぬ二人の恋なれば われらが棺の上に草生ふる日にも絶えて知るひとの無かるべし」 ためいきをつきながら、有二は皿の料理を食べ、唯職するあいだ、まるで敵のように宇 階に目をあてている。 字酸はうなずきながら、微笑してみせる。 恋の櫛ばもう、半分埋められてるわ。ちょうどこの、山頂のホテルの黒い闇に。 「ウネちゃん。叔母さんでなかったら結婚したいよ」「それはオバンていうほうの意味?」 「両方入ってる」 「いったな」 と宇欄がにらむと、有二はこらえきれないように幸福に上処せて笑う。宇のやさしい微笑からは、恋の棺を埋めた人とは見えないだろうと宇禰自身、思われる。しかし宇はこの営業を鋭化するために、二度と有二と機会を持とうとは思わないのだ。宇欄はそういう決意をピ首のようにかくし持ちながら、笑んでいる自分の「二重人格」が、いまはいとしく思えている。これこそ、女の生きる喜びだった。 ◾️ジョゼと虎と魚たち ・夜ふけ、ジョゼが目をさますと、カーテンを払った窓から月光が射しこんでいて、まるで部屋中が海底洞窟の水族館のようだった。 ジョゼも恒夫も、魚になっていた。 ー死んだんやな、とジョゼは思った。 (アタイたちは死んだんや) 恒夫はあれからずうっと、ジョゼと共棲みしている。二人は結婚しているつもりでいるが、籍も入れていないし、式も披露もしていないし、恒夫の親許へも知らせていない。そして段ボールの箱にはいった祖母のお骨も、そのままになっている。 ジョゼはそのままでいいと思っている。長いことかかって料理をつくり、上手に味付けをして恒夫に食べさせ、ゆっくりと洗濯をして恒夫を身ぎれいに世話したりする。お金を大事に貯め、一年に一ぺんこんな旅に出る。 (アタイたちは死んでる。「死んだモン」になってる) 死んだモン、というのは屍体のことである。 魚のような恒夫とジョゼの姿に、ジョゼは深い満足のためいきを洩らす。恒夫はいつジョゼから去るか分らないが、傍にいる限りは幸福で、それでいいとジョゼは思う。そしてジョゼは幸福を考えるとき、それは死と同義語に思える。完全無々な幸福は、死そのものだった。 (アタイたちはお魚や。「死んだモン」になったー) と思うとき、ジョゼは(我々は幸福だ)といってるつもりだった。ジョゼは恒夫に指をからませ、体をゆだね、人形のように継い、美しいが力のない脚を二本ならべて安らかにもういちど眠る。 ◾️雪の降るまで ・大庭との交わりを(以和子は今ふうにセックスとは呼びたくない。それはなんのことやろうという気がする。むしろ、情交といったほうがぴったりする)思うたびに以和子は物悲しいような愉悦の波に目まで溺れそうになる。そのとき、 (子宮の在りどこを知る…・・・・・) という気になる。胃袋の在りどこを知るうまい水、という川柳があるが、冷たい水が体内を下って胃へ落ちるのがはっきり分るように、子宮の在りどこがわかる気がする。初潮の早かった以和子は閉経も早いのか、去年ごろから忘れたようになっている。忘れるというのがぴったりだった。以和子は昔、血の滴る女だったということも忘れかけている。いつもひそかに、 (いまがいちばん、いい....) と思うくせのある彼女は、閉経すればしたで、それになんの感傷も感慨もなかった。このぶんでは子宮をとってもそう思うかもしれない。以和子が「子宮の在りどとを知る」と思う、その子宮は現実のものではなくて、女の人生そのもの、なのだ。 女の生きてるあかしの窮極の核なのだった。 大庭と寝る楽しみを思うたびに、体内を劇薬の微温場が静かにだってゆく気がする。いつ彼と別れるか分らないが、 (ええ人とめぐり逢うたわァ・・・・・・) という、思い出し笑いするような満足感がいつもあった。当然のこととして、以和子は大庭と結婚したいなどという欲はない。大庭にそんな気がないところもいい。大庭が妻ともうまくやってバランスのいい男であるところもいい。以和子は、大庭が結婚している男であることなぞ、銀行の窓口で十なん年、「山武羅紗さあん」と呼ばれているのと同じようなことに思えるのだ。そんなことはどっちでもよかった。それは振込や入金と同じくらいのタダの日常茶飯事に思える。 ・大庭の浴衣姿はちゃんと板について、さまになっている。家で着物を着なれているのかもしれない。でっぷりと腹が出て、影も心もちたかく張り、角帯を締めたら、さぞきちっと形よくおさまりそうな体型だった。以和子はさきに蒲団に入って、大庭のうしろ姿に目をあてている。いままで大庭と琵琶湖のそばのホテルへ入ったり、大阪のロイヤルホテルへいったりしたが、いつも、 (いつ別れてもええように…・・・・) と思いながらじっくり楽しんできたので、大庭とのことは、会う片端から前世のように遠い過去になるのであった。死んだ未来まで一緒になる気はないのだ。以和子は「側会処」とは思わない。 みな、死んだらばらばらや、と観じている。 大庭に、 <あんたはいつも『つづき』にならへんのやなあ。一回ごとに完結して、また新しィには じめるお人やなあ> といわれたのは、たしかに合ってるところがある。 以和子は眼にねっとりとした光をみなぎらせ、大庭を見ている。それは獰悪といっていいような、性悪な視線である。大庭の注意ぶかい手付きや、熱中した好奇心が好きである。 大庭はあたたかい床の中へ身を入れてきた。 男の手で、宿の浴衣の紐を解かれるときは、以和子はいつも(初めて!)の動悸を感ずる。 自分でも何をしているかわからずに、大庭の手首を抑えて、その動きを押しとどめようとしている。それにはかまわず、「ここになぁ…・・・」 と大庭はみだらに優しい声で以和子のあたまの上からそっという。指は以和子のやわらかい陥穽の縁辺まわりをそっとなぞっているのだった。 「白いもんが見つかるようになってから、男と女は楽しおすねや。これから、やねんで。 先途、楽しみまひょなあ…・・」 これからのことはわからない。やっと以和子は大庭に浴衣をそろりと脱がされるままになっている。ちっとも慣れない羞ずかしさに以和子は咽喉がかわいてしまう。雪の降る音がきこえそうな気がする。
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