
mayu
@yatsu_books
2026年6月12日

ヴィヴァルディと私
ティツィアーノ・スカルパ,
中山エツコ
@ 自宅
格子越しにしか世界を見ることが許されなかった、18世紀ヴェネツィアの「ピエタ養育院」の少女たち。
演奏中だけは音として存在を許され、一旦幕が下りれば沈黙に戻る。名前すら持てない彼女たちは、施設名を名字として名乗っていた。
”ピエタのアンナ”、”ピエタのマリア”と。
主人公のチェチリアは、ピエタ養育院の壁の外を一度も知らずに育った。石造りの冷たい廊下、稽古場、そして格子、それが彼女の人生のすべてだった。
でも、ヴァイオリンを手にした瞬間だけは違う。
その音は純粋で、聴く者すべての魂を震わせた。
まるで音楽だけが、彼女に「存在すること」を許しているかのように。
母への手紙という形で進んでいく、ティツィアーノ・スカルパの小説『ヴィヴァルディと私』(映画の邦題に合わせて『スターバト・マーテル』から改題)
存在が不確かな母親からの生と、異形の存在が拐かす死との狭間を行き来するように、言葉と音を織り出す日々。
そんな原作をもとに公開された映画もまた、抑圧と解放をテーマにしながらも、その声は決して大きくなく、静かに、でも確実に見る者の胸をゆさぶる作品でした。
映画の原題「PRIMAVERA」(プリマヴェーラ)はイタリア語で「春」を意味するそう。
まさにヴィヴァルディの「四季」の第1曲「春」そのものです。あらゆる束縛から逃れ、最後に自分の力で自由を手に入れたチェチリアの「春」を表しているように。









