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@yatsu_books
北アルプスの麓の大町のシェア型本棚の棚主 本とコーヒーと、時どき山
  • 2026年7月27日
    チボー家の人々[新版]2 少年園
    チボー家の人々[新版]2 少年園
    「第一部 灰色のノート」に続き、「第二部 少年園」を 家出の代償として、父親の運営する更生施設「少年園」に入れられてしまったジャック。 すっかり無気力になり、まるで生きた亡霊のようです。 巧みな目に見えない虐待が、一年で14才の少年をこうまで変えてしまうのか。 チボー家の偽善性を如実に表す「少年園」に加えて、アントワーヌの「可哀想なジャックをこの手で助ける」という偽善的精神が苛立ちに拍車を駆けるという読後を味わいました。 世の中の冷たさや辛酸さを味わいながらも、したたか且つ傲然と生きてきた不良少年たちの前では、ジャックはまだまだ悪童気取りで、垢抜けた感じのダニエルにジャックが違和感を抱いていきます。この違和感がこの先の2人の関係にどう影響していくのか、前回よりも更にそれぞれの感情の機微に触れていて楽しめました。
    チボー家の人々[新版]2 少年園
  • 2026年7月21日
    Forget it Not
    Forget it Not
    はじめに標題が『Forget it Not』とはどう言う意味だろうと思いました。「forget me not」なら「勿忘草」の英名でもあるし、「忘れないで」という意味になる。 論文と、翻訳家として発表したエッセーが一緒になったこの作品集を読み終えて感じたのは、これまで書いてきたものを、振り返った時に、思い出すこと、忘れないで留めおくこと、新しく付け加わるものがあるとすれば、受け身ではない「it」として”事実”から目をそらさないと言う意味もあるのかもしれないと想像しました。 なぜ人は言葉でものを書きつけ、薄れゆく記憶を定着させ、他者と共有しようとするのか。『私記』についての一節に「伝記は一面では歴史に通じるけれど、しかし個人に関する事実を並べただけでは科学にはならない。どこかで架空の話(フィクション)にする必要がある」と、言い回しがストレ-トではないだけに、すぐには理解できないけど、言葉とそれを生み出す人の不思議な関わりについて頭のどこかが開く感じがしました。
    Forget it Not
  • 2026年7月16日
    ボイジャーに伝えて
    「I'm here.」 「I'm glad you are there.」  私はここにいます、  あなたがそこにいてよかった……。  宇宙の闇を音もなく突き進むボイジャー。 作者はボイジャーに誰を重ね、なにを託したのか。 セント・ギガという実在したラジオ局に触発され自然音の採取をする主人公、公平の旅路と、彼を支える恭子の日常を並行して描きながら、「生きる」とは何か、「死」とは何かという根源的な問いを私たちに投げかけてくる。 それと同時に、著者の紀行作家としての経験と、世界に対する深い洞察が込められた本書は、単なる小説という枠を超え、私たち自身の存在意義を問い直すきっかけとなるような、示唆に富んだ作品でもあると感じました。 宇宙の深遠へと孤独な旅を続けるボイジャーの背を追うように、少しばかりの諦観を抱いて、半ば惰性を貪るように生を包含した死を受容しながら生きていかなければならないそれらの問いを、自分なりに理解しようとしたときこの作品がとてつもなく壮大で、そして深い闇を抱えていることに気づきます。 その答えは作者が亡くなられた今では、自分なりに想像するしかないけれども、この世で生きている限り、その問いは永遠に自分への課題のようにも感じられました。 読んでいてどこか懐かしく感じたのは、ある作家の世界感を思い出したから?著者の『語るに足る、ささやかな人生』がとても良かったので選んだ一冊ではあるけど、これからも少しずつ読み進めていきたい作家です。
    ボイジャーに伝えて
  • 2026年7月13日
    高校のカフカ、一九五九
    高校のカフカ、一九五九
    内省的で不思議な物語の想像力世界に浸りたくなると、たまに読みたくなるミルハウザー。 中途半端じゃないぶっ飛び方は中毒性があります。 寓話のような舞台設定でありながら、冷酷なまでに現実を描写するような不穏さがあると思う。 『梯子たちの夏』、『ありふれた苦境』が好きです。 非日常の介入をきっかけに何かが好転していくことを想像したくなるけど、実際はそうじゃないと突き付けてくる。 表題作の「高校のカフカ、一九五九」は、もしもカフカが一九五九年にアメリカで高校生活を送っていたら、という設定の話し。 何処かへ行きたいのに何処へも行けず、楽しいはずなのに苦痛にも感じてしまう時間。特に思春期に入ってからの諸々は余りにもリアル。 少し青春小説っぽい設定ではあるけど、結局は古きアメリカの設定が好きで、ミルハウザーの世界観があるから楽しめるのだろうと思います。 年内にまた出版される?楽しみです。
    高校のカフカ、一九五九
  • 2026年7月4日
    クヌルプ
    クヌルプ
    先週、山歩きも兼ねて『山の家クヌルプ』を読んで気になっていたクヌルプヒュッテにも泊まりました。 長年使い込まれることで光沢を纏った椅子や、長テーブル。手作りの重厚な木臼の椅子も、手彫りを施した棚も、どれも無意識にため息がこぼれるほど風合いが美しい。 そして、手を掛けた食事が更に美味しく、懐かしさと、山小屋を建てた松浦氏の思いがぎっしり詰まった、素敵なところでした。 行く前に読んだ本、主人公であるクヌルプの人生を描いた、山小屋の名前の由来になっているヘッセの『クヌルプ』は、誰も知らない心の奥底に持つ孤独について、そして人にとっての本当の幸福とは何かと、いろいろ考えさせられ、クヌルプヒュッテの歴史と重なります。 「小屋の何処にいても、そこが自分の居場所とだと感じられる。すべてよし。その場にいる自分を含めすべての肯定を促す空気がいつもあった。」、クヌルプヒュッテの魅力はそんなところにある気がします。
    クヌルプ
  • 2026年6月30日
    歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術
    タイトル、副題ともいい感じ 帯にある、 「歩くことは、最高の社交だ。歩くくことで、自分自身と二人きりになれるのだから」 という本文の引用にも惹かれる。 最近「歩く」という事に着目した本を よく見かけ、こちらは荻原美里さんの 装画とい事もあり手に取りました。 ロングトレイルの紀行文や旅行記、 ロードムービー的なフィクション ただ、「歩くこと」という幹から無限に伸びる、思索の枝葉のように、 とは言え、歩くことを哲学的、人類学的に 解き明かす本でもなく、予想以上に 複雑な要素が絡み合う作品でした。 あとがきに、「紀行、自伝、エッセイ、 手紙、日記といった複数のジャンルの 境界線を徒歩旅行するかのように、 自由かつ軽やかに行き来しながら 書かれた、新しく実験的で独創的な小説だ」 と訳者が記しているとおりで、 思う存分読書をし,ゴチャゴチャとした 文明から距離を置き,歩いて旅をする。 「歩くことは考えること、生きること」 というように、歩くという日常的行為を 通して、思考・身体・世界との関係を 問い直しているように感じました。 ルソーの『孤独な散歩者の夢想』は、 ルソーが3時間歩いて書かれた作品 だとも言われているし、「歩くこと」で 思考は刺激されるのでしょうか。
    歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術
  • 2026年6月28日
    明日も、森のどこかで
    「人生に山があってよかった」 山の先人たちは、そんな言葉を誰もが語ります。 太陽の光、風、水の流れ、季節の移ろいなど、湿った土の匂いと共に、落ち葉を踏む音までが聞こえてくるような、自然に身を置く喜びが伝わってくる、山を自然を心から愛する人たちのエッセイ集。 淡々とした静かな文章。読み進めると、遠い昔の忘れかけた記憶や感覚がよみがえってくるから不思議です。 📝 串田孫一の『山の絵日記』も合わせて
    明日も、森のどこかで
  • 2026年6月22日
    書物の航海へ いまを生きるための古典
    「博覧強記の読書家による知の航海記。 「驚く、戦う、愛する」などの 普遍的な営みを軸に古典を読み解き、 新たな思索の海図を描く。」   知の航海に溺れそうになりながらも、 何とか読了しました。 難しいというよりも、知識量に追いつくのが やっと、というイメ-ジです。 一度は読みたいと思いながらも、 手に取ることをためらったり、 途中で挫折してしまった古今東西の“名著”。 古典を読む時にぶつかる最初の壁は、 理屈から古典を理解しようと するからだと感じました。 古典とは理屈ではなく姿勢から 読むものであり、そのためにいかに 古典を定義すべきかが浮き彫りに されていくかのような内容が 本書には書かれていました。 この本は、「驚く・知る・関わる 戦う・愛する・生きる」という 人間を形作る「相」ごとに章が構成され、 古典から引用した文書を丁寧に読み解き、 思索を重ねた著者の自らの言葉で、 今を生きるわたしたちに伝えてきます。 考え、悩み、迷走を重ねて 新たな問いに漂着する。 これこそが「人間の人間たる所以」 だと思いました。 「なんのために本を読むのか?」 情報が瞬時に手に入る現代において、 ますますその重みを増している気がします。
    書物の航海へ いまを生きるための古典
  • 2026年6月16日
    世界を、こんなふうに見てごらん
    かつて読んだ、蔵書本から、この本の表紙画も熊田千佳慕 動物行動学者、日髙敏隆さんのエッセイ。 生き方はひとつじゃない 。いろんなものの見方で、自分の人生を生きてごらんと言われているようです。人間以外のいろんな生き物の生き方を知ることで、こうでなければという生き方の呪縛から解放される一冊。とても深い。
    世界を、こんなふうに見てごらん
  • 2026年6月15日
    熊田千佳慕のクマチカ昆虫記: 「絵本ファ-ブル昆虫記」のための勉強帖
    日本のプチファーブルと言われている熊田千佳慕の展示に行ってきました。 初めて見る原画、昆虫の細密画は思っていた以上に美しかった! 描かれた虫たちは、フィールドで観察をするように細かな部分をルーペで見たくなるほどの緻密さ。 昆虫の姿形だけでなく、その生態や季節など細かな環境の違いなども描いているし、植物や背景もすごい。 そういう意味でも観察するように鑑賞できる作品ばかりでした。 「黒は闇を支配する神の色、白は光を表す色で、光は神だから」と言う理由から、白と黒は決して使わなかったという熊田千佳慕、残されたひとつひとつの言葉からも、全ての生きもの対する愛情を感じられました。 自然に囲まれた、広大な敷地の中に建つ群馬県立館林美術館、今回の展示の「自然は愛するからこそ美しい」という自然への敬愛と共鳴しているようでした。
    熊田千佳慕のクマチカ昆虫記: 「絵本ファ-ブル昆虫記」のための勉強帖
  • 2026年6月12日
    ヴィヴァルディと私
    ヴィヴァルディと私
    格子越しにしか世界を見ることが許されなかった、18世紀ヴェネツィアの「ピエタ養育院」の少女たち。 演奏中だけは音として存在を許され、一旦幕が下りれば沈黙に戻る。名前すら持てない彼女たちは、施設名を名字として名乗っていた。 ”ピエタのアンナ”、”ピエタのマリア”と。 主人公のチェチリアは、ピエタ養育院の壁の外を一度も知らずに育った。石造りの冷たい廊下、稽古場、そして格子、それが彼女の人生のすべてだった。 でも、ヴァイオリンを手にした瞬間だけは違う。 その音は純粋で、聴く者すべての魂を震わせた。 まるで音楽だけが、彼女に「存在すること」を許しているかのように。 母への手紙という形で進んでいく、ティツィアーノ・スカルパの小説『ヴィヴァルディと私』(映画の邦題に合わせて『スターバト・マーテル』から改題) 存在が不確かな母親からの生と、異形の存在が拐かす死との狭間を行き来するように、言葉と音を織り出す日々。 そんな原作をもとに公開された映画もまた、抑圧と解放をテーマにしながらも、その声は決して大きくなく、静かに、でも確実に見る者の胸をゆさぶる作品でした。 映画の原題「PRIMAVERA」(プリマヴェーラ)はイタリア語で「春」を意味するそう。 まさにヴィヴァルディの「四季」の第1曲「春」そのものです。あらゆる束縛から逃れ、最後に自分の力で自由を手に入れたチェチリアの「春」を表しているように。
    ヴィヴァルディと私
  • 2026年6月9日
    ふたりの読書会
    以前読んだ、カナダの刑務所での読書会の様子を描いたノンフィクション、アン・ウォームズリーの『プリズン・ブック・クラブ/コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』は、 会を重ねるにつれメンバーの内面や発言が変化していく様子がとても興味深く、共通体験としての読書の意義に改めて気付くことができました。 『ふたりの読書会』は、無期懲役の受刑者の大矢章市さん(仮名)が『プリズン・ブック・クラブ』と、その本の訳者である向井和美さんの『読書会という幸福』を読み、感銘を受け出した一通の手紙からはじまった往復書簡をまとめた1冊。 この本を読んで、大矢章市さんの言葉のひとつひとつが深く印象に残り、強く心を揺さぶられました。 手紙での読書会はタイムラグはあるものの、とても豊かで、選ぶ本の中には殺人を扱ったような小説もあったり、差別や戦争など難しいテーマのものだったり、それでもふたりの読書会は驚くべき洞察力に満ちた意見が交換されます。 犯罪を犯してしまったという罪の意識から語られる小説は、世間一般の印象を覆す切り口から真実を切り取るかのような鋭さです。 「本を読みたい。読んで感想を他者と共有したい」という大矢さんの熱意には素直に敬意を抱くし、過去がどうであれ向井さんが支援したくなる気持ちにも共感できます。 「この言葉に出会っていれば自分は道を踏み外さなかった」と言われているけど、「今だからこそ、その一文のその言葉が語りかけてくれる意味がわかる」とも言う大矢さん。 この本を読んで何度も目頭が熱くなり、わたしはこんなに真摯に本に向き合ってきただろうかと、考えてしまいました。
    ふたりの読書会
  • 2026年6月5日
    料理と人生
    料理と人生
    とてもおもしろかった。 アフリカにルーツのある人々の多様性について、これまであまり考える機会がなかったので、新鮮な気付きを得た気がします。 文学と料理という二つの領域を追求したマリーズ・コンデ。グアドループで生まれ、アフリカ人と結婚してアフリカで暮らし、そしてその後イギリス人の伴侶と歩んだマリーズの人生は文字通り越境の旅。 マリーズ・コンデの文学に描かれるのはアフリカン・ディアスポラの人々の軌跡。 本書では、マリーズが訪問したさまざまな地域での文学経験と料理体験が語られているのだけど、知らない名前ばかりで、どんな味なのかすらイメージできない。サツマイモがしばしば出て来るけど…。 「文学と政治は完全に切り離せない」と語るマリーズだけど、文学と料理もまた完全には切り離せない。 ひとりの作家の生涯が描かれた本作は、同時に「食」を通じてクレオール文学の意味を理解するための一冊であり、現代において「世界」という言葉の動的な意味を考える時に最も必要な視点を与えてくれる一冊でもある気がします。 若いときから老いさらばえるまでの人生は波乱ばかり。なにやらしみじみした気分で読了。コンデの小説を読まなきゃと思う。
    料理と人生
  • 2026年6月3日
    チボー家の人々[新版] 1 灰色のノート
    チボー家の人々[新版] 1 灰色のノート
    以前から気になっていた『チボ-家の人々』、第一次世界大戦前後のヨーロッパの大変動期を舞台に、若者たちの青春と悲劇を描いた大叙事詩。白水社より黄色の美しい装丁で新装版が刊行されました。 全10巻、これから読みすすめていこうと思います。 まずは「第一部 灰色のノート」は、チボー家の次男ジャックと学校で知り合った上級生、ダニエルとの家出から話しがはじまります。 思春期の少年二人の互いの思いを綴った灰色のノート。 汚れなき青々しさ、十四歳のジャックの無軌道な純真さが刃物のように突き刺さってきます。 結局は家出は失敗してしまい、それぞれの家族から真逆の出迎えられ方をする事で、これからどんな人生を送ることになるのか、というところでこの巻はおしまいです。 第一部からとってもおもしろく、次の展開が気になります。「高野文子さんの漫画『黄色い本』を読むと『チボー家の人々』が読みたくなる」とありました。こちらも読んでみようかな!
    チボー家の人々[新版] 1 灰色のノート
  • 2026年5月31日
    ちくま日本文学(011)
    金沢旅行で読み終えた、泉鏡花。 泉鏡花ゆかりの金沢には記念館があり、面する通りは、"新町・鏡花通り"と名づけられていました。 住宅街と商店街が入り混じった街並み、鏡花を読み終えたあとに見たそんな町並みは、当時の暮らしが想像され、人びとの価値観や言葉づかいなどが醸し出す、懐かしさや温かさ、時に寂しさを感じさせる独特の空気感を感じさせてくれました。 鏡花独特の語呂の良さ、美しい言葉の使い方、神秘的で奥深く、妖艶な世界を想像しながらじっくり読んでいると、現実のこの世界も異世界も、境界はないのではないかと思わせます。
    ちくま日本文学(011)
  • 2026年5月23日
    俺の職歴
    俺の職歴
    ロシア革命後の頃のユーモア作家として、当時の生活や庶民の会話がありのままに写し出される短編集。登場人物はみな、可愛らしいくらいに素直で正直で、適度にこずるくみっともないけど、楽しく生活している感じ。 最後の「ゾーシチェンコを偲ぶ会」で作家の辿った道を知ると、その印象に対して哀しい暗い色が差してしまう。作品の価値には何の関係も無いことだけど、政治が介入する醜さに辛い思いになりました。それでも、ゲオルギー・コヴェンチェークの挿絵はかわいい。
    俺の職歴
  • 2026年5月21日
    パルプ (ちくま文庫 ふ 50-1)
    パルプ (ちくま文庫 ふ 50-1)
    たまによく分からない物語を読んで、「なんだったんだろう、これは」という気持ちで終わるのがある。怪作とか傑作とかの惹句に引かれて読んではみたけど、怪作なのか傑作なのかは分からないし、それを考察したほうが良いのかどうかも分からないから考えない。でも、こんな世界観のものを読んで楽しむのは好きけっこう好きだったりします。最初の3ページを読んでみて楽しめそうだなと思ったら多分受け入れられると思う。 20世紀アメリカの作家であり詩人のチャールズ・ブコウスキーの遺作となる「パルプ」は、まさにそんな物語で、「パルプ」とはかつてのアメリカで大量生産、大量消費された三流雑誌のことらしく、粗悪な更紙を用いて安価に製造され、読み捨てられ、内容も探偵、SF、情欲的など通俗的なものが多かったらしい。 物語の主人公のニック・ビレーンは探偵で、自称「有能なダメ人間」のハチャメチャな出来事を書いたこの作品は、どうでもいいことの繰り返しの中に、たまに興味深い出来事があり、その興味深い出来事がハチャメチャで主人公以外の人間もハチャメチャだとこんな「パルプ」みたいな物語になるのかもしれません。好き勝手に生きていい加減な人生を送っても、案外本人は幸せなのかも!
    パルプ (ちくま文庫 ふ 50-1)
  • 2026年5月20日
    フランドルの四季暦
    フランドルの四季暦
    季節ごとの自然と人間の関わりを美しい文章で綴られている本書。端正な訳文と、それに添えられた大野八生さんの素敵な挿画から、 春の予兆を見つける歓び、夏の終わりに潜む秋の気配、冬のキリリとした空気感が手に取るように伝わってきます。 特に春や夏では、様々な植物や虫、鳥たちが姿を現し始めるところなどは、夢中になって追いかけたり、草むらを駆け回った子供のころを思い出させてくれました。 「覚えている限りでは最も遠い過去に始まり、一九三八年に書き上げたこの本を、私は一生かけて書き継いでいくことになるでしょう」 年々季節の変わりめが曖昧になってきているけど、四季を綴ること、感じることはずっと終わることはないと、思っていたい。
    フランドルの四季暦
  • 2026年5月19日
    花の果て、草木の果て
    自然のなかで枯れ、朽ちていく植物のすがた、その命をつなぐ最期の営みに胸を打たれます。 多様性を受け継ぎ、様々な形を取り、終わりを迎える。 本書は美しい写真を見ているだけでも癒されるけど、添えられた文章と共に更に楽しめました。 次の年につなごうとする植物たち、わたしたちの目には小さな世界だけど、その営みは想像以上に大きい。
    花の果て、草木の果て
  • 2026年5月17日
    海風クラブ
    海風クラブ
    大勢の登場人物が入れ替わり立ち替わり目まぐるしく語る中で、この物語の主人公を誰か一人に絞れと言われたら、それは物語の舞台「海豊村」だろうと思います。 「海豊村」のモデルは台湾東部の和平村であり、実際に起きたセメント工場建設と自然破壊反対活動、不可逆的な生活の変化が書かれている。 登場人物は山に住む伝説の巨人も含めて、台湾の抱える複雑な問題をそれぞれに代弁するように、 狩猟を中心に暮らしていたが開発計画のために土地を手放す原住民族、工場建設による人の流入を狙い商売を目論む漢人、 土地開発に反対する旗振りを務める大学出の漢人と、生まれも育ちも異なる人々が村を中心に集い、人の呼吸を通じて山と海に抱かれる。 「自然の環境では、天災に遭うことで再生が始まる」 どんなに人間があがいても自然の力に勝るものはないということを改めて気付かされる、そんな物語。 呉明益の作り出す世界観に魅了されました。幻想的で神話的、なぜか落ち着くこの空気感と心地良い文体が心に響きます。 今回の表紙画も呉明益によるもの。あとがきでルドンの絵をオマージュというか、倣って描いたものだと知りました。 表紙からは冒険ファンタジー的なものを想像していたけれど全然違った。
    海風クラブ
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