
ジクロロ
@jirowcrew
2026年6月17日
ヘーゲル読解入門(下)
コジェーヴ,
上妻精,
今野雅方
読んでる
人間だけが消滅せずに誤謬を犯しうる。すなわち、人間は現存在するものに関し誤謬を犯しながら現存在し続けることができ、自己の誤謬を、或いは誤謬の中に生きることができる。そして誤謬も階もそれ自体としては何物でもないのだが、人間においては実在するものとなってしまう。
……
だが、実在するものの中でこの誤謬を保持することが可能であるといっても、それは結局この誤謬を真理に変貌せしめることが可能だからのことである。誤謬が純粋の無でないのはそれが修正可能だからであり、実際、経験が示すところ、人間の誤謬は時間の経過とともに修正され真理となっていっている。
(p.36)
動物における誤謬とは、身体の不具。
それは生存の危機に直結する。
人間における誤謬とは、存在と言説の不一致。
それは実存の危機に直結する。
人間はいつも「ズレ」という誤謬のなかに生きている。自身の言説(観念、欲望)がいつも存在を置いてけぼりにする。
誤謬は真理を求める。
そこに辿り着かなかったとしても、
そのひたむきさは後世に生きながらえる。
生きた人類の歴史として。
しかしその(勘違いという誤謬も含めた)言説と存在の同一性は、「死」を意味する。
楽園とは、不安をその源泉とする動悸の停止を意味する。
バタイユはコジェーヴのヘーゲル読解に衝撃を受けたという。それがこの文章だったのではないか。
ただ「誤謬」であっても生きられるーー自身のどうにもならない「過剰」を注ぐことのできる器を、バタイユはこの「誤謬」の運動に見出したのではないかと想像する。

