"芝生の復讐" 2026年6月18日

@inwatermelon_
2026年6月18日
芝生の復讐
芝生の復讐
リチャード・ブローティガン
本棚を買い替えた。  サイズを元の半分くらいのものにしたから、当然中身も半分くらいにしなければならず、小説、エッセイ、漫画、雑誌、美術館の図録、映画のパンフレット、シール、写真、はがき、おみくじ、フィギュア、ぬいぐるみなどそこに敷き詰められていた何やかんやを残酷に選別しては、その日限りでごみへと変えていった。  リチャード・ブローティガンの小説や詩集のすべては、新しい本棚の見晴らしの良い一角に、背の順で収まることになる。  どれも外形的には、足元でビニール紐で縛り付けられた哀れな書籍たちよりも、もっとずっと擦り切れて、ごみに近接したなりをしているのだけれど、わたしがこれらを捨てることはない。名誉ある永遠のごみ候補者リスト。  「芝生の復讐」は、ブローティガンの著書のなかでも、まずタイトルに惹かれ、わたしが一番最初に読んだ本だった。  62編のいびつで素朴な短編集。危なっかしいほどに雄弁かつ滑稽で、何をばかなことを言ってるんだこの人はと笑った次の瞬間、同じ人に対して静かな感銘に打ち震えたりもする。  その後、中長編を読むにつれ、わたしはブローティガンという広い世界の放浪者となっていくわけだけれど、「芝生の復讐」、或いはその前作「アメリカの鱒釣り」にのみ備わっているような、作家本来の飾り気ない、心許せる田舎のような魅力というものはいつまでもかけがえがなく、そこにあり続ける。  このような折に触れては手に取り、ページを繰っては彼の、そしてわたしのものとなった田舎の芝生や雨や風、糸くずやあらゆるものを確認し、本はまたひとつごみに近付く。 ことばで表すことのできない感情と、ことばでよりはむしろ糸くずの世界をもって描かれるべきできごとに、今夜の私は取り憑かれている。 わたしの子供時代のかけらたちのことを考えていた。それらは形もなく意味もない。遠い生活のかけら。ちょうど糸くずのようなことがらなのだ。 リチャード・ブローティガン「糸くず」
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved