
ジクロロ
@jirowcrew
2026年6月19日
ヘーゲル読解入門(下)
コジェーヴ,
上妻精,
今野雅方
読んでる
任意の「N」の否定がわれわれを出発点に導くまで、すなわち「非N」=Aとなるまで続けられるであろう。そうなったとき、我々はこの最期の創造的な否定によって開ざれた円環を際限なく繰り返し歩むことができるだけであろう。
実際、実在する(行動による)弁証法は、「N」において、その否定である「非N」が「A」となる「N」において停止する。この「N」こそが用話本来の強い意味での総体性である。すなわち、それは肯定され否定され再び肯定されたものすべて、及びそうなりうるものすべてを統合したものである。なぜならば、「N」を否定することはすでに肯定や否定をされていた「A」を肯定することだからである。
(p.61)
人間ってそんなに単純ではないよなという思いより、その論理の簡潔さに惹かれる。数学的な記述だからだろうか。
Aは非Aという観念を得て、労働(行為)によりBとなり(生成し)、非Bという観念を得て……
個人の変容、その構造は「歴史」の構造と重ねられる。
ではその始まりとなる「A」とは何か、何者なのか?
自分という一個人から始めるべきか、祖先から祖先へと遡るべきか。
「N」に至る道のりは、本質以外の付着物の削ぎ落としなのか、肉付けなのか。
この一文を考えているうちに「ハッピーセット」を食べ終えてしまう。
そして「おもちゃ」という非Nだけが残り、自分を見つめる。