"伊藤野枝集" 2026年6月20日

紺
@kon_
2026年6月20日
伊藤野枝集
伊藤野枝集
森まゆみ
伊藤野枝。1895年に生まれ、1923年に憲兵隊によって拘引され、激しい暴行の末に絞殺され井戸に遺棄されたアナキストにして婦人解放活動家/作家。 二十八年の短い生涯をまさしく嵐のように駆け抜けた野枝の足取りを創作・評論・書簡で辿りながら、ほとばしるような彼女の言葉にはげしく胸を打たれた。 わずか17歳にして綴られた、 『すべての迫害、圧迫、に怖じて、おどおどと不安ななまぬるい生を送るより、刹那も強く弾力ある、激しい生き方を私は望ましいと思う。』 という言葉が、彼女の人生を象徴するよう。 特に評論「禍の根をなすもの」「内気な娘とお転婆娘」では彼女のフェミニストとしての思想の先進性に驚かされる。 〈今日までの女は、何のために、どういう目的で教育されて来ているでしょうか? 女を育てる人々はただ男の妻として、出来るだけ高価に売りつける事しか考えては居りません。女は、出来るだけ男の要求に応じる事の出来るように、大事にされて育てられているのです。大抵の若い娘の夢は、みんな、自分の未来の、男を対象にした夢ばかりです。それがあたりまえの事とされているのです。人間としての自分の将来を考える事は、不正規な事としてあるのです。〉   〈けれども、その女の弱さは何処から来たのでしょうか? 女は、弱くあれ!と育てられて来たのではないでしょうか? どんな男の傍におしつけられても、その男に自分の一生をまかさねば生きて行く道はないのだというように惨めな運命を、よくよくのみ込ませられているのではないでしょうか? (中略) 処女には、「拒絶」という事は教えてないのではありますまいか? 「拒絶」の代わりに、その保護者は「隔絶」をもって間に合わせているのではないでしょうか?〉 〈他人の娘がどれほどひどい屈辱を被っても、否、時によれば平気で他人の娘の節操を犯す人達が、自分の娘の節操に関する場合には何故あれほど騒ぎ立てるのでしょうか? これが富裕な人々の贅沢な手前勝手でなくて何んでしょうか。〉 〈理屈の上では、現在女学校などでも、ただ一ずにおとなしい、淑やかだというだけでは済まない、非常時に際して充分適当な態度をとれるようしっかりした女にならなくてはいけないというような事も教えます。しかし実際には、みんなおとなしいすなおな一方の女にしようとします。そうした風な女を尊敬するように仕向けます。 (中略) 総ての点で自分の考えなどはどうでもいいような、決断のにぶい、従属的な傾向を帯びた女の方が歓ばれます。そして出来るだけそういう風に仕込まれます。〉 野枝は故郷で嫁がされた家をわずか数日で出奔し、高等女学校時代の教師と結婚。女性解放運動の原点として知られる雑誌『青鞜』に出会い作家となり、さらにその夫を捨てて、アナキスト大杉栄との「多角恋愛」に身を投じていく。 一見するとスキャンダラスな奔放さにもうつるその行動(実際、私は本書を読むまで彼女のことをそのように捉えていたところがあった)の中にあっても、彼女には彼女の葛藤と苦しみ、戦いがあったのだと端々から窺い知れたことも良かった。 まだまだ彼女の足跡を追いたいと思わせてくれる一冊。
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