amy "転落男性論" 2026年6月20日

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@note_1581
2026年6月20日
転落男性論
私が男性学に興味を持つきっかけとなった『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社新書)の著者である西井さん開さんの新刊『転落男性論-孤立、暴力、ホモソーシャル』である。 男性が男性自身を苦しめ、またそれにより女性や性的マイノリティが人権を侵害される原因として男性による“男らしさへのこだわり”というものがある。「男性の生きづらさは社会的に称揚される『男らしさ』へのこだわり―精神的に自立し、十分に稼ぎ、多くの女性と恋愛をし、結婚をして家族を養っていくこと―に起因する」、これを本書で西井さんは“達成モデル”と称した。 この“達成モデル”について私は納得する部分がありながらも、はたしてそれだけだろうかという疑問をうっすらと抱いていた。 イメージされるマッチョな男としての達成や成功、それらを求めている男性ばかりではないだろうとも思っていたし、女性にも様々な人がいるように男性にも様々な人がいるというのは当然のことだからだ。 本書の画期的なところは男性は“達成したい”ばかりではないということを示したことだ。本書内でも示しているが、近年の調査においても男らしくなりたいとは思っていない男性が存在し、または増加もしている。にもかかわらず、男性たちの自殺率は高止まりしており、過労によってメンタルヘルスの不調にいたる男性は数多い。 この事実は“達成モデル”だけでは男性たちの葛藤、男性たちを縛るものを捉えそこねているのではないか、という考えが本書のスタートである。 序章から第1部、第2部ではおもに男性は“達成”だけではなく、むしろ“転落”を恐れているのではないかという指摘と、その“転落”とはいったいどういうものかが西井さんの開催している「非モテ研究会」のメンバーによる個人の経験による語りでもって説明された。 社会から構築された「普通の男性」というイメージがあり、そこから“転落する”ことが何よりの恐怖や不安を与え、そうならないために、自分を苦しめる。この“転落”も男性個々人の生育や環境によってまるで違うもので、単一的なイメージをするのではなく、あくまでそこに存在する構造や社会を考察していく必要がある。 また“転落”を恐れる男性に「男らしさから降りる」というメッセージは崖まで追い詰められている者に落ちることをすすめるのと同じようなもので、この提言は意味をなさない。なぜなら“転落するか、しないか”のギリギリのところまで追い詰められているからだ。 私はこの一連の指摘と説明がすごく腑に落ちた。いわゆる「普通の男性」から“転落”してしまう。その恐怖はきっと私が想像するよりも何倍も切迫したものだろうし、コミュニティが限定されていればいるほどその恐怖や葛藤は大きいだろうと思う。 「有害な男性性」や「男らしさから降りる」という言説はたしかに必要なものであり、間違いではない。それらに固執するがあまり、女性や性的マイノリティの尊厳を踏みにじる振る舞いは枚挙に暇がない。 しかしながらそうではない、少なくとも、本人や他者がそう認識していない男性までもがここまで苦しそうなのは、性差別や偏見を指摘されたときに恐慌状態に陥り、加害にまで転じてしまうのはなぜか考えていた。 そこに正当性や正常性からの“転落の恐怖”があることは私にとって新しい事実だった。 フェミニズムの本もそれなりに読んできたなかで、やはりこの世を構成する属性のひとつとして男性もこの苦しさから逃れることができなければ、真のフェミニズムを達成するのは難しいと考えるようになった。 そこからフェミニズムと男性学を両輪のものとしていかないと、いつまでも私たちへの侵害はなくならない。 「有害な男性性」や「男らしさから降りる」では排除されていた男性たちにも、"転落の恐怖"は確かに存在する。女として生きていると、男性優位社会やそれを変えようとしない人たちへの憤りがどうしても募る。本書はその憤りをより遠くへ届く力に変えてくれる。その苦しさを視野に入れながらフェミニズムと男性学を両輪として持ち続けること。それが今の私にできる誠実な問いの持ち方だと、本書を読んで改めて思った。
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