
やん
@grilledyangyang
2026年6月21日
水たまりで息をする
高瀬隼子
読み終わった
あまり純文学には馴染みがないのだけれど、とても読みやすかった。
夫が雨を浴び始めたあたりから、いつクトゥルフ的な展開になるのかドキドキしていたが、台風ちゃんのくだりで、別の意味で胸が苦しくなった。
こういうじわじわとした不穏さやザワザワ感は、歴史小説ではなかなか味わえないなぁ。
衣津実は「〇〇した方が良さそう」という社会の規範に沿って、自分の感情に蓋をしながら生きている。その結果、どん詰まりの状況に追い込まれていく姿が苦しい。
彼女には、どんな状況でも『持ち堪えられて』しまう。だからこそ、夫の『狂っている』ことを赦せないし、台風ちゃんを『水槽で死ぬのを待つよりは、いいような気がする』し、水があるならどこでも『生きていける』と勝手に解釈してしまう。
そこには、幼少期の家庭環境、『病気になるような弱い人間とはできが違う』という両親の会話を聞いた過剰適応の病理を感じた。
しかし、持ち堪えられるからといって傷ついていないわけではない。衣津実の心は確実に擦り減っている。だからこそ、夫にも『全部損なって、ぼろぼろになってほしい』と望む痛々しさがある。
そして、いつしか夫を台風ちゃんと重ね合わせる衣津実にとって、「決定的な決断をしない」振りをするという結末は、社会的圧力からの自己防衛としては妥当なラストだ。
でも、あのどん詰まりの生活だって、決して悪いことばかりではなかったのではないか。
地方で生き生きとしている夫を見て、幸福を感じていたのではないか。暖かい気持ちもあったのではないか。
病んだ夫のケアをしながら働き、夫が家事をし、食事の匂いがする家に帰る。そんな「普通」から逸脱したどん詰まりの生活にも、一つの穏やかさはあったように思う。
結局、「東京」と「地方」という異なる水質、息ができる環境が違う二人は、各々に適した水に還るしかなかったのかもしれない。社会の求める「普通」に苦しんでいた夫は、自身を川に沈め、綺麗な鉱石を拾う。そして、その「普通」に耐えられない『弱さに寄り添う』余裕がないほど擦り減っていた衣津実は『うまく捨てられたような、捨てるのさえ大事にできなかったような』心の痛みを抱えながら、美しい魚を見つける。
二人が自由になるべくしてなった結末だと思うと、言いようのない胸の痛みと、同時にどこか安堵感もある。
もしかすると現代人の多くは、多かれ少なかれ衣津実なのかもしれない。



