
蒼白
@Cisal224
1900年1月1日

神の悪手
芦沢央
読み終わった
読書日記
朝テレビをつけると、どのチャンネルもサッカー日本代表の活躍を絶叫のような解説とともに絶賛していた。でも、私がいつも気になるのはそれに熱狂し応援している人々の姿だ。
もちろん私は"そこ"にいないのだけど、個人や個性の素晴らしさがもてはやされるこの時代に、同じユニフォームを着用し、同じ号令を叫んで、同じ瞬間に感情を爆発させている様はいったい何なのだろうかと考えてしまう。
均質化といえばそれまでだが、人々をあのようにさせる何かがあるのは確かだろう。それはサッカーそのものの影響だけではないはずだ。このように考えてしまうのは、この小説のある一節が気に掛かっていたからだ。
『群舞においては、一人一人の踊り手が個性を出すことが許されない。たとえ誰よりも高く跳べる力を持っていようと、それを群舞の中で行えば単なる秩序の破壊なのだ。均一化は個を殺す暴力性を孕む。だが、抑制された個と個の動きを繋ぐエネルギーの流れは、決して一人では創り得ない景色を生む。』
これは将棋の駒師が、駒づくりにおけるオリジナリティについて考える一節だ。
日本代表を応援する人々が抑制された個といえるかどうかはわからない。ただ他人に本音を曝け出せる瞬間もほとんどなく、コミュニケーションでは常にコンプライアンスへ気を使わなければならないこの世界においては、個と個を繋ぐ貴重な"非日常"であり、幻想に酔える一瞬なのかもしれない。
もちろん私は"そこ"にはいないのだが。

