
ましろ
@ruhistory
2026年6月22日
菜食主義者
きむふな,
ハン・ガン
読み終わった
最初はあんまり気分が乗らなくてダラダラ進んでいたが、後半以降は引き込まれて一気に進めた。
最後の章はすごく難しい…。ヨンへが植物になりたがって、自分は植物になると信じて、でも当然人間だから植物にはなれなくて。結末は描かれなかったけど、近いうちに、ヨンへのは死ぬんだろうなと思う。ある意味で飛び超えたヨンへの姉、インへは、チウを残さない気がするヨンへが亡くなったら、引っ越すすんじゃないかなと思う。
テーマは、狂気と健常は紙一重、どっちが正常かなんて分からない、ってことか。
家父長制やその暴力に虐げられる弱者、"持つ者"に宿る暴力の業、自分が正常だと信じてる人間が無自覚・無意識に内に存存させている獣。
そのあたりが、描かれていることなのかな?と思う。
発端が強者(明らかに男性、父や夫、そして息子か)による暴虐というのがなんだかありきたりというか、今さら小説で語ることか?という気持ちは読み始めから拭えない。
私が読み違えているだけで、本当に違うのか?
もしくは、このテーマは、著者が絶対に取り扱いたいことで、それと、"植物化する、女"という手法を組み合わせる挑戦なのか?
韓国の映画やドラマ(特に儒教に基づく規範が敷かれた朝鮮王朝時代のもの)を見ていると、「三従」という言葉に頻繁に出くわす。意味としては、「嫁に行くまでは父親に従い、嫁に行ったら夫に従い、夫が死んだら子供に従う」というものらしい。頻出するところを見ると、朝鮮時代ほどではなくとも、韓国の社会に根強く残る風潮なのかとも思う。
韓国の現代文学において、数え切れないほどに扱われたテーマでもある、家父長制によって女性たちが受けてきた苦々しい抑圧、を描くのは、著者がこの事柄を選ばすにはいられない、使命感ともいえない、でも切実で無視できない理由があるのだろうか。