たま子 "嘔吐" 2026年6月23日

たま子
たま子
@tama_co_co
2026年6月23日
嘔吐
嘔吐
ジャン・ポール・サルトル,
鈴木道彦
今日もシピの頭皮ハムハム攻撃で起床。昨日の夜中に食べたカップ麺の影響で胃もたれしていたので、朝はバナナスムージーで済ませる。ぴー太は嬉しそうにウィンナーやハムステーキや目玉焼きをフライパンで大量に焼いている。胃が元気。仕事をはじめる前に『夜明けと音楽』。「イメージは言語を必要とする」のなかで書かれていたことをきっかけに『嘔吐』のことを考える。今苦戦して読んでいるロカンタンの思考の流れにすこし触れられそうな気がして読むのを『嘔吐』の方に切り替える。キーワードは鏡だったりするのかもしれない。誤読でもいいので何かを掴みたい。 p176『夜明けと音楽』 私は無数の人と物と場所の合間にいる、無数の私を見る。私であるあなたを見て、またあなたである私を見る。この人は静物かもしれないと思った瞬間。もしくは物が人の仮面をかぶっているのではないかと思った瞬間。そのときの視線は誰のものなのか。そして、その実体のない人や物は何なのか。 p177『夜明けと音楽』 今日もまた無数の視線を幾重にも抱いて、文字で作られた風景の中へ入っていく人がいる。誰でもないもの。何でもない場所。この無意味さこそが、存在の根源的な状態なのだと思いながら。 p212『嘔吐』 もしも存在とは何かと訊かれたら、私は本気でこう答えただろう、それは何でもない、せいぜい、外から物につけ加わった空虚な形式にすぎず、物の性質を何一つ変えるものではない、と。それから不意に、存在がそこにあった、それは火を見るよりも明らかだった。存在はとつぜんヴェールを脱いだのである。存在は抽象的な範疇に属する無害な様子を失った。それは物の生地そのもので、この根は存在のなかで捏ねられ形成されたのだった。と言うよりもむしろ、根や、公園の鉄柵や、ベンチや、禿げた芝生などは、ことごとく消えてしまった。物の多様性、物の個別性は、仮象にすぎず、表面を覆うニスにすぎない。そのニスは溶けてしまった。あとには怪物じみた、ぶよぶよした、混乱した塊が残ったーーむき出しの塊、恐るべき、また猥褻な裸形の塊である。 昼、野菜たっぷり麺。胡麻を台所にぶちまける。夜、チキンとズッキーニとパプリカのパエリア。お焦げの加減が難しい。寝る前に『ダロウェイ夫人』。
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